「働く」と「生きる」を楽しむためのレシピ

「人生100年」と言われるようになり、生涯現役がもはや当たり前の時代に突入。一人ひとりが「自分らしさ」を見つけ、ワーク&ライフを楽しむためのヒントについて考えていきます。

新型コロナを乗り越えたら、世界はきっと変わる

今日の材料:新型コロナウィルス肺炎、日常の問題、工夫と努力

新型コロナウイルス肺炎の流行が世界的な問題となり、日本はこれまで経験したことのないほどの深刻な状況に陥っています。

感染者数が日を追うごとに増えていく中、ご自身やご家族が感染されている方々には心よりお見舞い申し上げます。そして私もそうですが、現時点では感染確認されていなくともいつどこで当事者となるのかわからない状況には、誰もが大きな不安を持っています。

中国の湖北省武漢市で、これまで確認されたことのないウイルス性肺炎が流行しているというニュースが広く報じられたのは、今年に入ってからと記憶しています。でも警笛を鳴らす一部の専門家を除いて、新型コロナは対岸の火事でしかありませんでした。

多くの人にとっての身近な問題は2月初め頃、「マスクが手に入らない」といった困りごとから始まりまったのではないでしょうか。当初は中国人観光客に批判が集まるといった局地的な話題に過ぎませんでしたが、日が経つにつれてその深刻さが増し、より日常を揺るがすことが起こるようになりました。

我が家ではこの春に息子が幼稚園を卒園しましたが、3月に入って幼稚園は休園になり、親子行事や謝恩会を含め、卒園にむけて予定されていた全体イベントは全て中止に。卒園式も少人数で保育証書を頂くという縮小されたものになりました。

4月に入って感染者数が急激に増え、重症化したり命を落とす方もごく少数ではなくなり事態が悪化していくと、医療崩壊を懸念して感染拡大地域を対象に緊急事態宣言が発令されました。我が家の居住区でも小学校の入学式は行われたものの、その後すぐに休校となりました。

気付けば、中国や初期にその影響を受け心配されていた韓国を大きく上回る数の感染者数、死者数を記録する欧米各国に続き、日本でも大流行が起こってしまいました。

通勤や通学、買い物や病院に行く、友達との食事やおしゃべり―ごく当たり前に出来たことが今は出来ません。こんな状況、つい数ヶ月前までは誰が予想出来たでしょうか。

未曾有の出来事―それは私たちに、これまで考えてこなかったことに向き合うことを強いています。というのも、今回の新型コロナウイルス流行によって通常の生活が出来なくなってしまった社会には、誰もが納得する「正しい答え」がないからです。

「不要不急の外出を自粛する」、「3密を避ける」ということが現時点で得られる情報と知識を結集して導き出された結論です。でもその要請に従うためには、それぞれの生活圏で様々な問題が生じます。例えばこの春卒業し、入学する学生の皆さんやその保護者の方たちは「なぜこの年にこんなことに・・」と思ったでしょう。その時にしか出来ないこと、その時にしか見られない姿を見ることを諦めなければならない悔しさは、まさに私たち家族も経験したことです。

でも、だからこそ、どうすればいいのかを一人ひとりが考え、工夫して行動する必要があります。そうしなければ事態は悪くなる一方で、これまで当たり前に過ごしてこられた日常は二度と取り戻すことは出来なくなるでしょう。

息子の幼稚園や小学校の教職員の方々は、先例のない事態に戸惑いながらも知恵を出し合い、協力し合いながら、卒園式や入学式を実行するために最善の方法を考えてくださいました。何が正しいのかわからない状況の中で必死に考えて動いてくださっている教育現場の方々には、本当に頭が下がる想いです。

その一方で、現在でも郊外を中心に商店街やスーパーなどが家族連れの人であふれていることや、職場で可能な工夫がなされずに感染の不安を持ちながら働かなければならない人々が多くいることを報じる記事は後を絶ちません。個々の事情はあるでしょうが、自分たちの都合で行動してしまう人々や職場の安全を後回しにしてしまう管理職の人たちは、自分勝手な人というより、考えることや工夫することをしていない、もしくは出来ない人たちと思えてしまいます。

日本では特別措置法に基づく「緊急事態宣言」をもってしても、罰則規定を伴って国民の行動を抑止することは出来ません。行政側はこういう場合にすぐ人権という言葉を使いますが、どうしたら国民の理解と協力を得られるのか、結局そこでも考えることや工夫することが十分になされていないように思えます。

新型コロナウイルスの問題は、例え個人の価値観が多様化する時代となっても全体の利益を追求しなければならない時は必ずあるということ、そしてそういう時に私たちが何を考え、どう動くべきなのかという問いを突き付けているのかもしれません。

 

 

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新型コロナウイルスの流行で、間違いなく生活は不自由になりました。でも、それ以前の生活はどうだったのでしょうか。国の政策のようなマクロの問題にしても身近な人間関係のようなミクロの問題にしても、「変えなければならない」とどこかで気付いていながらも踏み込めないことはたくさんあったように思えます。

今回の新型コロナ問題の対応に関して安倍首相はかなりの批判を受けています。その一方で各都道府県知事の対応への評価は、大きく差が出ているように思えます。もちろん全体の利益を追求しようとすればどんな対応にも批判は必ず出ますし、未曾有の事態であるが故に結果によってはその評価も大きく変わる可能性は否定できません。

でも、現状を吟味して衆知を集め、可能な限り予測に基づいた事前準備とそれに伴う決断をしているのか、それとも目先のことしか考えずに行きあたりばったりの決定をしているのかは、誰の目にもはっきりわかります。それは、平時からの意識や取り組みの違いが大きくものを言います。

個人の行動も同じように言えます。夫婦や家族、友達との関係性にしても、職場の在り方にしても、日常的にそこでの生き方に問題意識を持って考えているのかそうでないのかによって、今の状況に対する対処の仕方には明確な差が出ています。

誰もが他人事ではない、そして世界中どこにも逃げ場がないこの新型コロナ問題は、結局一人ひとりの日頃の在り方をはっきりと見せるもののような気がしてなりません。

先日、絵本作家の五味太郎さんの記事にもこんな風に書かれていました。

こういう時っていつも「早く元に戻ればいい」って言われがちだけど、じゃあ戻ったその当時って本当に充実してたの? 本当にコロナ前に戻りたい?と問うてみたい。

五味太郎さん「コロナ前は安定してた?」不安定との向き合い方

 

はっとさせられました。

確かにいつ感染するかわからないという不安、感染しても病院にかかれないかもしれないという恐怖、そういった問題はコロナ前にはありませんでした。でも、医療現場での医師不足の問題や少子高齢化に伴うさまざまなひずみ、そもそも日本は崩壊寸前ではなかったでしょうか

今、目の前に乗り越えなければならない大きな問題がある時は必死に考えます。でも私たちには本来、普段から必死に考えなければならない問題が山ほどあったのです。『「そもそも」論・再考 』と言う記事で書きましたが、「目の前の問題」はより早く解決しようとする一方で見えない問題になかなか向き合えないのは、人間の性なのかもしれません。

だからこそ、このピンチに頭をたくさん使い、これまで見逃してきた様々な問題に取り組む覚悟を持つべきなのかもしれません。

もしそうすることが出来たなら、新型コロナを乗り越えた時、世界はきっと大きく変わると思います。

最近の報道は新型コロナ問題一色で、どうしても日々の感染者数や死者数の増加、医療崩壊への懸念材料を報じるものに目が行ってしまいます。もちろん、こうした現実をしっかりと受け止める必要はあります。でも目立たないところには、一人ひとりが変わってしまった日常にどう向き合い、いかに工夫と努力が出来るかのヒントになるような記事もたくさんあるのです。

視聴者である私たちがこうしたニュースに興味を持ったり、自ら積極的に発信したりすることもまた、工夫と努力のネットワークを広げていくことつながっていくと思います。

私自身について言えば、新型コロナ問題で幼稚園が3月に休園になって以降、これまでにないほどに子供と過ごす時間が増えました。

当初はどうしたらメリハリのある時間を過ごせるのか悩みましたが、いろいろな情報を参考にして平日は1日の大まかなスケジュールを決めました。試行錯誤しながら、「考える時間」、「楽しむ時間」、「体を動かす時間」などを少しずつ上手くとれるようになってきました。

でも自分自身に関しては、まだまだうまくいっていません。自分にとって重要な文章を書くという作業には、ある程度まとまった時間集中することが必要です。子供の相手をしながら細切れにやるというのは、かなりハードルが高いです。

実はこの記事も、書き始めてからもう何日経ったでしょうか・・。もともと文章を書くのに時間がかかる私ですが、思うように進めることが出来ない自分の管理力の低さにはほとほと情けなくなります。

でも、だからこそ、ここで工夫と努力が必要です。なんとしてもこの状況を、自分なりの方法で乗り切らなければ。でもそれが出来れば、きっとこれからの生活が大きく変わると思います。 

誰もがこれまでと同じようにはいかないからこそ、考えられなかった知恵に辿りつくはず。そしてその知恵こそが、これまでの世界を変えるはずです。

不幸にも感染してしまった方は、少しでも症状が和らぎ、一日も早く回復されますように心よりお祈り申し上げます。

そして感染が確認されていない私たちは、感染拡大を防止するために制限された生活の中でいかに工夫と努力が出来るかを考え、実践していきましょう。

 

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