「働く」と「生きる」を楽しむためのレシピ

「人生100年」と言われるようになり、生涯現役がもはや当たり前の時代に突入。一人ひとりが「自分らしさ」を見つけ、ワーク&ライフを楽しむためのヒントについて考えていきます。

知識に価値があるのは、興味という基礎があるからだ

今日の材料:知識と興味、家庭学習、9月入学、想像力

新型コロナの影響で外出自粛となり、家族と過ごす時間が増えています。

我が家ではこの4月に息子が小学校に入学しましたが、新型コロナウイルスの感染防止のため、その後すぐに休校となりました。学校に通うことが出来ずに息子はずっと家で過ごしています。

1歳半から保育園に預け、幼稚園でも通常保育だけでなく預かり保育をフル活用してきた私たち親子にとって、毎日一緒にここまで長く過ごすのは赤ちゃんの頃以来です。でも息子はもう赤ちゃんではなく就学児童―在宅生活の中で遊びだけでなく、学習の時間もとらなければなりません。

改めて、子供の学習に親がどう向き合うか、私たちが今考えなければならない大きな課題を身近に感じます。

前回『新型コロナを乗り越えたら、世界はきっと変わる 』という記事で、これまでと同じようにはいかないからこそ、考えられなかった知恵に辿りつくはず、と書きました。忙しさに負けてつい学校任せにしてしまう親にとって、子供の生活面のみならず学習の在り方を考えるために必要な機会なのかもしれません。

外出自粛生活となってから、我が家でも在宅での毎日の過ごし方を試行錯誤してきました。平日は休日と区別するため、学校と同じようにまずは時間を意識することから始めました。1時間目、2時間目、と開始時と終了時にスマホでチャイムを鳴らすようにしています。私はアラームを使っていますが、専用のアプリもあるそうですよ。

一応時間ごとにやることは決めていますが、夢中になっていたら継続したり、逆に早めに切り上げてしまったり、スケジュールはかなりざっくりです。それでも毎日チャイムは鳴らすうちに、いつの間にか1時間目とか2時間目は何時まで、という時間を息子もすっかり覚えました。

ざっくりではあるものの時間を区切って過ごすと、1日にメリハリがついて思った以上に過ごしやすいです。「この時間にこれをやる」ときまっていると、気持ちも切り変わるので1日の終わりの疲労感もずいぶん違います。

とはいえそれは大人の事情で、子供はそうそう思うようには取り組んでくれません。やることを決めていても、やる気がないと文句が出たり違うことをやり出したり・・。読み書きなどの退屈な課題ばかりでなく、息子が好きな工作なども取り入れて楽しめるように考えたり、私も一緒にやったりしています。それでも、6歳男児に日々何かしら意味ある吸収をしてもらおうとすると、すぐに行き詰ってしまいます。

改めて学校という場の大切さを知り、先生方の工夫に感謝せずにはいられません。それと同時に、親もそれなりの工夫が必要だと実感します。

そこで、探究心を持って子供を観察してみました。すると、ある瞬間にカチッとスイッチが切り変わる時があることに気付きました。勉強しているか遊んでいるかということに関わらず、そこに何らかの面白さを発見する瞬間があるのです。

例えば先日、息子が(半ばイヤイヤ)計算の問題を終わらせた後ふと思いついて、「この問題でちょっとお話を作ってみて」と言ってみました。

例えば10+3-5+7であれば、

「アフリカのサバンナにシマウマの群れが10頭いました。そこへ3頭のライオンがやってきて、シマウマが5頭逃げていきました。その後、ハイエナの群れが7頭やってきました。今ここにいる動物は何頭でしょう」

変な問題ですが、動物が大好きな息子の目の奥がキラッと光りました。大喜びでその後、ひたすらお話を作っていました。どうしたらもっと面白い話になるか、といろいろ考えを巡らせたようです。

興味は最大の武器だ、とその時思いました。「やらなければならない」が「やりたい」に変わった瞬間です。

子供は勉強は嫌いだけど、遊ぶことならいつまででもやり続けられる、と私は思っていました。でもずっと家にいると、好きなことをしていてもすぐ飽きてしまって間が持たなくなることがあります。新しい発見があれば夢中になってやり続け、不思議なことにそこには必ずしも最初の好き嫌いは関わらないのです

知らなかったことがわかる、出来なかったことが出来るようになる、そのための知識の価値を大人はある程度知っているので、どうにか子供にそれを教えようとします。でも子供にとっての知識の価値は、興味の上にしか成り立たず、「面白い」と思った瞬間に知りたい、やってみたい、という気持ちが芽生えるのです。その瞬間がいつやってくるかは私にも息子にもわからないので、いろいろ試してみるしかありません。

毎日息子と接していて、そのことを肌で感じました。在宅学習でいろいろなことを吸収させたいという気持ちはありますが、今は何かに夢中になる時間の方が大事なのかもしれない、と切り替えるようになりました。

いずれは興味のあるなしに関わらず学ばなければならないことが増えてきますが、「面白い」ことの楽しさを小さい頃に覚えることは、学習面でも工夫する力や考える力につながるでしょう。

そういう訳で、現在の私の日々の課題は息子が食いついてくる投げかけを考えること。これはこれで、上手くはまるとミッションクリアした気分になってなかなか面白いものです。

 

 

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興味という基礎があるからこそ、知識を得ることに価値を見出せる―それは子供だけではないような気がします。

コロナ禍では家庭学習の在り方を考え直す必要がありますが、周知のようにより大きな教育制度の問題や学校教育にこそ対応が迫られています。

例えば制度的な観点では、最近9月入学のことが大きな話題となっています。今回のコロナ禍を機に今後の学年暦を9月始業にした方が、国際基準に合致するだろうという見方が広がっています。

実は明治維新後の教育改革では、日本も西洋に倣い9月始業が実施されたそうです。その後政府の会計年度が4月始まりになったこと等を理由に、4月始業という日本独自の制度となりました。今とは社会も生活も文化も全く異なる数百年前の制度が継続されているという事実に、改めて驚愕します。

とはいえ、突然制度を変えるということになれば、現場の先生方は混乱するでしょう。こういう場合、どうしても変更に伴う業務の煩雑さの方に目がいってしまいます。

でもより広い視野で想像してみると、少し違う風景も見えてきます。従来から高校や大学の入試は風邪やインフルエンザが最も流行る時期で、保護者も受験生も勉強以外の気遣いがたえません。また学校側にしても、公平性が問われミスが許されない入試実施中に受験生の体調トラブルへの対応となると、さらなる準備が必要となります。

さらに今年度は新型コロナウイルスへの不安も避けられないでしょう。

受験生の運命を左右する入試で季節由来の懸念事項が減ることは、学校側にとっても学生側にとっても大きな利益です。制度改革によってむしろ業務の煩雑さが軽減されることもあるのです。

桜の季節に新しい生活が始まる日本の春は、情緒に溢れています。でも、猛暑を越えて心も体も落ち着きを取り戻す秋にスタートする、新たな日本の秋があっても良いかもしません。実現の可否はとりあえず横に置き、新たな可能性に創造的な目を向けることは決して無駄なことではありません。

そして新たな発見を求めて視野を広げ、想像力をフル回転させてみると、「知りたい」という気持ちも強くなってきます

実は日本の大学の中には、既に秋入学を併用しているところがあります。そこでどんなことが起きているのか。小中学校に関しては、9月入学が一般的な諸外国ではどのような学期編成なのか。従来の日本と違う面白さがどこにあるのか、という視点で物事を見てみることで、吸収できる知識がきっとたくさんあると思います。

「変えなければならない」という視点を、「変えたらどんな面白いことがあるのか」という見方に変えた時、知識は生きたものになり、創造的な力を持ちます。心理学の世界ではよく外発的動機づけ、内発的動機づけとよく言われますが、きっかけが外だろうが内だろうが、知識への意味づけを変えるのは、結局そこに前向きな興味が持てるかどうかということだと思います。

学校再開に関しては現在も、現場の先生方は不安を抱いています。とはいえ、これ以上休校を長引かせることはそれ以上の問題を抱えています。今の状況に関してベストな対応策を考えるためには、義務感ではなく前向きな興味をもって考えていくこと、そしてそれを可能とするために、各機関が協力しながら対話を続けていくことが、まだまだ先の見えない今、ますます必要だと思います。

まさに先ほど、息子の通う小学校から休校延長に対する対応として、5月中は毎週月曜日に校庭で課題の配布と提出のための登校をさせる旨の連絡がきました。先生方もいろいろと考えてくださっているのだと思います。親として出来る限り協力し、家庭学習で気付いたことを先生にお伝えしていきたいと思います。

さて、興味があることは山ほどあるのに、知識を得るための時間と要領がなかなか得られない私。息子と毎日過ごす中で、細切れの時間に集中して文章を書く生活リズムには、まだまだベストな方法は見つかっていませんが、今回もようやく最後までたどり着きました・笑

 

 

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