2023年を振り返り、目標は道しるべに
今日の材料:2023年、振り返り、目標
年末年始に「昨年の振り返り」と「今年の抱負を書く」という宣言は、結局2年も持たず…。ブログを放置しっぱなしですが、性懲りもなくまた書きたいと思います。
昨年立てた目標は(”も”か!)、ほぼ達成できませんでした(涙)。またしても振り返りは反省ばかりですが、これもケジメということで。
・自然体で過ごす。
いきなり前言をくつがえしますが、コレ、少しできるようになってきました。相変わらず不毛なことにとらわれることは多いのですが、そういう自分も含めて「ありのままの自分」を良しとしよう、と思えるようになってきたんです。
きっかけは、この本です。↓
この本を読んでいたら、自分が思う通りにいかないのは、まだまだ楽しみ方が足りないんだなあ、と思えるようになりました。「不毛なことにとらわれてしまう自分」もカワイイじゃない、それはそれで楽しんでしまおう、って。
・夕食を19時までに食べ始める。
これも実はちょっとできるようになってきたかもしれません。ただ、意識してそうしようと思ったのではなく、夕方のオンラインミーティングや息子の習い事など、生活のなかで自然とそうなってきたように思えます。日にもよりますが。
あまりガチガチにならず、自然に任せることも大事ですね。
・体重を2~3キロ減らす
コレが一番ダメな結果!ホントダメでした(2回言う…)。年齢のせいにしてはいけませんが、本当に減りません。ただ、「1日30分のエクササイズ(ヨガや軽い有酸素運動の組み合わせ)を1か月に20日以上実行することと、1日の平均歩数を5,000歩」は、50%以上は達成できている実感はあります。
年齢を甘く見てはいけないということを肝に銘じつつ、引き続きトライします。
・ブログを月1回以上書く。
昨年の実績、「昨年の振り返り」「今年の抱負」の2本のみ!抱負で終わった1年でした…。そして言い訳しません。遅筆は自覚しています。書こうと思うと書けないので、今年からは自然体でいこうと思います。
・研究者であるライターとして、仕事を開拓する
ライティングの仕事、牛歩ではあるものの成果が上がってきて、そのなかで「自分らしさ」のようなものがぼんやりと、本当にぼんやりと見えてきました。そして、あらためて思ったことは、私はやっぱり書くのが好きなんだな、ということ。「好き」を続けていけば、いけそうです。
・論文を1本書き、新たな研究を開始して発表する。
残念ながらできず。研究者としての成果は出せませんでした。そしてあらためて、頑張るのではなく楽しもう、と思っています。
・英検1級を受ける。
正直むしろ、遠ざかってしまったような気がします。振り返ってみると、私の英語への向き合い方は研究への必要性にかかっているように思えました。また必要になったら、取り組みたいと思います。
こうやって振り返ってみると、どの目標も自分を縛るものではなく、道しるべにすればいいんじゃないかと感じます。だから焦らず、日々の生活を楽しみながら今年も進んでいきます。
まったく更新していないブログなのに、なぜか年末年始だけアクセス数が少し上がっていました。こんなブログでも訪れてくれる人がいるのかと思うと、目に見えない繋がりがなんだか温かく感じました。
今年も残すところあと11ヵ月ですが(笑)、お互い良い年にしましょう!
今年の抱負―2023年―
今日の材料:2023年、抱負
前回の【2022年の振り返り】を受けて、今年の目標を立ててみたいと思います。
昨年の抱負を考えたとき、生活習慣の改善と具体的な達成目標に分かれると感じました。そして実際に1年間過ごしてみて、あらためてそのことを実感しています。
自己啓発書などにも同じように書かれていますが、何かを達成したいと思うとき、そのことばかりを意識してもうまくいかないんですよね。何を話し、どう行動をするかという毎日の習慣こそがまず大事なのでしょう。
私の場合、昨年は生活習慣の改善目標の達成率が5~10%という本当に情けない結果となり(苦笑)、結果として全体もイマイチでしたから。
今年は生活習慣の改善をより意識して、もう少し頑張ってみたいと思います。
- 自然体で過ごす。
「不毛な考えにとらわれる時間を減らす」という昨年の目標がうまくいかなかったので、少しアプローチを変えます。頑張って考えないようにするより、ゆっくり深呼吸して自然体を心がかけてみようと思います。
瞑想法やマインドフルネスなども、無理なく少しずつ取り入れたいな、と。
- 夕食を19時までに食べ始める。
昨年に引き続き、タイムマネジメントの具体的目標はこれでいきます。大切なのは、いかに準備ができるかということ。「何をつくるか」を早目に決めるということはだいぶできるようになってきたので、今年は「どうつくるか」を意識して目標達成に挑みます!
- 体重を2~3キロ減らす。
具体的な運動目標としては、1日30分のエクササイズ(ヨガや軽い有酸素運動の組み合わせ)を1か月に20日以上実行することと、1日の平均歩数を5,000歩とすること。昨年の傾向としては、仕事が忙しくなるとどうしても怠ってしまうということがありました。体を動かすことで頭を切り替える、という癖をつけてみたいと思います。
- ブログを月1回以上書く。
日々考えること、感じることはあったのですが、ブログに向き合えなかったというのが現状です。なので具体的な達成方法としては、「一区切りしたときにブログを書く」。「いつ」を明確にして出来事の振り返りをするということが、より高い頻度でブログに向き合えるきっかけになるという予想です。
- 研究者であるライターとして、仕事を開拓する
昨年は、とにかく与えられた仕事をしっかりやるということを目標にしました。結果として、自分の限界を知ったような気がします。とくに本づくりの仕事は本当に奥が深く、編集に関わる知識などやはり付け焼刃では太刀打ちできないと痛感しました。
本当にこの仕事をしっかりやろうとするなら、研究者をやりながらという中途半端な気持ちではできないということです。でも、私はやっぱり研究者でありたい。今回の経験は、いろいろなことを学ぶ本当に貴重なものでした。
これからは与えられるのを待つだけでなく、研究者であるからこそできる仕事を自分で開拓していきたいと思います。
- 論文を1本書き、新たな研究を開始して発表する。
昨年書き切れなかった論文を完成させたうえで、新たな研究を始めます。共同研究の話も出ているので、今年は発表の年にしたいと思います。来年以降の論文化を目指します!
- 英検1級を受ける。
昨年から引き続きの目標です。昨年は英語で論文を書き、少しだけ自信をつけました。でも年末に師匠が請け負った英語絡みのリサーチのお仕事を手伝ったとき、全然しゃべれませんした・・・。英語も奥が深い・・・。とにかく今年は試験を受けようと思います!
さあ、今年の年末はどうなっているでしょう。毎年目標を立てて検証するというこの挑戦は、生きているかぎり続けようと思います!!
2022年の振り返り
今日の材料:2022年、振り返り
新年、あけましておめでとうございます。
「今年こそは会いたい人に会える日が戻ってくると」と書いた昨年はじめ。残念ながらそうはいかなかった1年でした。
とはいえ、コロナ禍のフェーズは確実に変わりました。「ウィズコロナ」という言葉がまさに現実となったいま、これまで以上に一人ひとりがコロナとどう向き合うかを問われる時期に突入しています。
実は昨年、わが家全員コロナ感染しました(涙)。おかげさまで無事生還し、現時点でみんな目立った後遺症はありません。でも、各種報道で見るコロナウイルスの免疫系統への影響への不安はあり、やはりただの風邪とは思えないというのが本音です。
現状を注視しつつ、今年もこのウイルスとの付き合い方を考えることは避けられなさそうです。だからこそ自分らしい生き方を模索することの大切さを、あらためて実感します。
そんなわけで、昨年立てた目標を振り返ってみたいのですが、先に結論を言うと、ほとんど達成できなかったという・・・(苦笑)。
でも、昨年の自分と比べることなしに成長することはできません。ほんの少しずつでも成長しようという前向きな気持ちで、振り返ってみたいと思います。
- とにかく不毛な考えにとらわれる時間を減らす。
達成率5%くらいでしょうか。昨年も目いっぱいとらわれました(苦笑)。もう性分なのでしょう。これは少しとらえ方を変えてアプローチしたいと思っています。
- 夕食を7時までに食べ始める。
これも5%くらい・・・。だいたい平均して7時半。どうしてもこの30分が乗り越えられない。でも、やはりうまくいく日は段取りがいいことは間違いありません。引き続き、今年も目標にします。
- 体重を3~4キロ減らす。
達成率10%くらい。平均的に1キロくらいは減らせたのですが、少し怪しい日も・・・。今年はもう少し具体的な運動目標を立てようと思います。
- ブログを月1回以上書く。
達成率25%。結局、一昨年と同じく3回に留まりました・・・。「少なくとも前の年よりは書きます、絶対!」と言ってしまった手前、せめて昨日書こうと思いながら結局できず・‥。反省しきりです。こちらも何か具体的に達成する方法を思案します。
- ライターとして、与えられた仕事をきちんとやる。
80%と言わせていただきます!あらためて思うのは、目標達成にはある程度の縛りも必要だ、ということ。つまり、締切です。ご縁をいただいた出版社で、週1回のブログとゴーストライターとしての書籍の執筆編集を請け負いました。後者はまもなく校了です。
本づくりのお仕事は本当に奥が深い。仕事の出来栄えという意味では、本当にまだまだです・・・。あくまで振り返りなので「きちんと」を自己評価しましたが、仕事の評価は本来他者がすることかもしれません。そのあたりを考えず「精一杯頑張った」という意味では、本音は100%(笑)。
- 論文を二本書く。
50%です。実は締切が1年近く早まったため、ハードルの高かった英語論文を1本書きました。でも、もう1本はどうしても書き切れず、今年1月中が締切です。論文は任意であるため、どうしても仕事が優先になってしまう。このあたりのバランスのとり方は、今後の課題でもあると思っています。
- 英語の試験を受ける。
0%・・・。これも仕事で必須だったらできるのでしょうか。でも、勉強は少しずつ進めました。今年も引き続き目標に掲げます。
全体で平均すると、15~20%くらいでしょうか。ただひとつ確実に言えることは、私はブログで書いたことを何度も見返しました。できていないことも自覚しつつ、ここまで目標を意識し続けることができるとは思いませんでした。
文字にすることって本当に大事だと実感します。
そして、たとえ1%でも昨年より成長できたと感じられることが、より大事なのだろうと。努力を続ければ、きっと人間は一生成長し続けられるはず。
昨年、英語の勉強をするなかで出会った"You can't take it with you."という言葉。「富や名声はあの世まで持っていけない」という意味だそうです。でももしかしたら、努力と成長は魂に刻まれるものかもしれません。
ということで、あらためて今年も目標を立てて、1年間意識していきたいと思います。
キャリア教育と学びの可能性
今日の材料:大学生、コロナ禍、キャリア教育、キャリア支援、学び、成長、未来の担い手
先日、コロナ禍で大学に思うように通えない学生たちが、より早い時期からのキャリア支援を望んでいる、という記事を読みました。
なかでも具体的な要望として、つぎのような声が挙げられています。
「学生時代の活動を、社会のなかでどのように活用できるか知りたい」
「自分なりのキャリアを歩むためのサポートをしてほしい」
より個別具体的な支援が求められているんだな、と感じます。
ただ、ここで語られていることは就職活動のときだけではなく、生涯をとおして探究し続けることという気もします。
就職は「ゴール」では、なくむしろ「スタート」。就職活動は、いまある仕事の枠組みを知ったうえで自分の欲求や信念に向き合う機会であり、これから築く人生の目的の起点となるもの、という前提が必要だと思います。
以前【未来型人材育成―「何を教わるか」ではなく「いかに学ぶか」を考える】という記事を書きました。
ここで言いたかったことのひとつは、教育を受ける側だけではなく、教育に関わるすべての人が学びの主体だということ。もうひとつは、「いかに学ぶか」は事前に決められることではなく、学びの過程で創造的に広がっていくということです。
いま大学のキャリアプログラムは、以前に比べてワークショップ形式などが取り入れられ、自己表現や対話の場がかなり増えました。また、企業人を大学に招いての講演やインターンシップなど、企業と学生の接点も増えています。
こういう場を増やしたり、対象者を広げることは大切です。ただ、キャリア教育は就職活動を軸に行うのではなく、教育課程全般をとおして行うべきことのようにも思えます。
学生だけでなく、教育者もまた自分の欲求や信念に向き合うこと。自分たちの学びや成長が社会の発展とどうつながるかということを考え続け、語り合うこと。その積み重ねによって、キャリア教育に本当の意味が生まれるのではないでしょうか。
いま大学生のゼミ活動を研究していて、2020 年度以降の大学生活の大きな変化を私も肌で感じています。
でも、大学生たちはこの状況に閉塞感ばかりもっているわけではありません。制約があるからこそ気づきや発見があり、成長するための工夫やエネルギーが生まれることもあるのです。
インタビューをするなかで、こんな話をしてくれた学生に出会いました。
彼女はコロナ前には特別な目的意識はなく、それなりに楽しく学生生活を過ごしていました。でもコロナによって、その生活が一変しました。
鬱とまではいかないんですけど。これは、あかんってなって。なんかやらんといけん、って。なんか、私みたいな人っているんじゃないかな、と。この状況に不安だとか、孤独だとか、とにかくネガティブな感情が、今こういう状況で持っている人いるんじゃないかな、って。そういう人を自分が助けられたらいいなって思って動き始めたら、いろいろゼミのことを改めて知ったり。それできっとモチベーションが、上がったんだと思います。
彼女は、ゼミの先生に「自分にできることはないか」と連絡しました。
コロナは誰にとっても未知の出来事。困惑し、思考が止まってしまったのは先生たちも同じでした。そんななかで学生のほうから前向きな声があがり、先生自身も救われたのです。
先生から「リーダーになって何かに取り組んでみたら」と声を掛けられ、その後お互いに相談しながら、新たな活動が始まりました。
別人かと思えるほど変わった彼女は、創造的なビジョンをつくり、上手にみんなを巻き込みながら、淡々と実践するリーダーシップを発揮しました。
卒業を前に、彼女は先生に手紙を書きました。そこには、忙しく大変だったけど「今」に夢中で必死で、とても楽しかったと書かれていました。
これから私は社会の小さな歯車になり、忙しさに呑まれ、社会の”ルール”に染まり、いつか自分じゃなくなってしまうかもしれません。でもそのときは、ありのままの私でがむしゃらに先生と一緒にめっちゃ頑張り、輝いていた日々を思い出して、自分らしく生きれたらなと願っています。
手紙は「これからも別々の道になりますが、”共に”頑張りましょうね!!」という言葉で結ばれていました。彼女の存在は先生にとっても、それまでの学生との向き合い方を問い直す学びを生むものでした。
キャリア教育やキャリア支援は、一義的なものではない。あらためてそう感じます。誰が、いつ、どこで、何を学ぶのか――。そこに決まった枠組みはない、と。
ゼミ活動が日常の一部でしかなかった彼女。でもコロナをきっかけに、自分で考えたことをみんなで実行するゼミは大きな成長の舞台になったのです。
何かをきっかけに必死に考え、とことん語り合い、そこで何かが生まれたときに達成されること。学びは誰にでも、どんな条件によっても起こりうるものなのでしょう。
いま、世の中はますます混迷を深めていますが、一人ひとりが自分にできることに向き合っていくことしかできません。でもそこには、必ず学びがあるはず。
この春、社会に出る学生のみなさんも、いま社会に生きる私たちも、学びの主体であり、未来をつくる担い手のひとりであることに変わりません。
だからそう、みんなで”共に”頑張りましょう!たまには、息抜きもしながら。
いまになって、読書の本当の面白さを知る
今日の材料:読書、興味、知識、禅、真・善・美、アート、経営戦略
私は少し前まで、読書をしていませんでした。
何かを読むことはよくありましたが、それは読書ではなく文字通り「何かを読んでいた」だけ。
とくに30歳で大学院に進学して読む対象が「論文」や「研究書」になってから、いつのまにか書物は「自分の主張の根拠をみつける対象」になっていたような気がします。
それは自分が「いま」もっている興味の枠組みのなかで、必要な知識や情報を得るための一方向的なもの。
でも、自分の人生で何を目指すのかが少しずつ明確になってきてから、本への向き合い方も変わってきたような気がします。
ブログを書くことも、そのきっかけだったのかもしれません。
このブログで以前【書くことも読むことも対話だ 】という記事を書きました。
対話は、創造的なコミュニケーション。相手が本であれば、読み進めていくほど自分と本の「その先」への興味も広がっていく。当然、得られる知識の質も変わっていきます。
昨年のコロナ休校のとき、毎日子どもと過ごすなかで【知識に価値があるのは、興味という基礎があるからだ】という気づきを記事にしました。いま、自分自身がそのことを実感しています。
本との向き合い方がかわったもうひとつのきっかけは、ライターの仕事を請け負うようになったこと。
人が自分らしく働き、生きるってどういうことか。そういう働き方ができる場ってどういう場なのか。それを人や組織のストーリーから探ることが、これまでの私の興味の中心にありました。
その根っこは変わらないものの、ライターの仕事をとおしてそのことを、経営という視座でも考えるようになりました。
戦略やマーケティングといった具体的なビジネス分野にも、興味が広がっています。
最近読んだ本のことを忘備録として書いておこうと思います。
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『傷つきやすい人のための 図太くなれる禅思考』(枡野 俊明著・文響社)
自分のなかのこだわりを少しずつ解いて生きやすくなるためのヒントをくれた一冊。
禅僧である枡野さんが教えてくれる智恵は、たんなる精神論ではなくすべて禅の思想を根拠としたもの。自分のこころにすっと落ちてきました。
「無神経でも図々しくもない、たくましく、おおらかな、真の『図太さ』」
たぶん、私が一生をかけて追い求める価値のある目標だと思います。
『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?経営における「アート」と「サイエンス」』(山口周著・光文社新書)
枡野さんの本を読み、ものごとを判断するうえでの超越的感覚、いわゆる「真・善・美」の大切さを実感しました。
美術史を専攻し、経営コンサルとなった山口周さんのことは以前から気になっていましたが、この本を読んでみようと思ったきっかけは間違えなく、前書を読んだからです。
意思決定の原点にアートを置くことの意義、論理や理性の説明力によって、直観や感性を鈍らせてはならないということを強く印象づける本でした。
『ストーリーとしての競争戦略 ―優れた戦略の条件』(楠木建著・Hitotsubashi Business Review Books)
言わずと知れた経営戦略の名著で、じつは何度か拾い読みをしていました。でも、この本のすごさはまったくわからなかった。「一方的なやりとり」と「対話」の違いを何より実感させてくれた一冊です。
私のこれまでの関心は、個人の人生のストーリーだったのですが、ストーリーの首尾一貫性には注目していました。一貫しているほど、その人らしい人生になっているわけですが、それは戦略のストーリーにしても同じなんだと心から納得できました。
「優れた戦略家は、機会や脅威を受けてある特定のアクションをとるときに、それがストーリー全体の文脈でどのような意味を持つのか、それを取り巻く他の構成要素とどのように連動し、競争優位の構築や維持にとってどのようなインパクトを持っているのかを深く考えます。」(p.223)
戦略も人生も、まったく同じ。全体のストーリーのなかでひとつひとつの要素をどうつなげていくのか。その面白さを教えてくれた本です。経営をしてみたくなりましたが、それはムリなので(笑)、ストーリーとしてこれからの人生をマネジメントしてみたいです。
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もっと早く読書の面白さを知っていれば、というのが本音。それでもいま、本を読みたくて仕方がないと思えること、すごく幸せです。
でもだぶん、本の本当の面白さは創造的な対話の結果を発信することにあるはず。
それは、「書くこと」以外のなにものでもありません。
今年の抱負―2022年―
今日の材料:2022年、今年の抱負
新年、あけましておめでとうございます。
コロナ禍となり、2度目の年末年始。またまた大きな波がやってきそうですが、今年こそはきっと、会いたい人に会える日が戻ってくると信じています。
昨年はブログを3回しか更新できず、もはや「書く書く詐欺」(笑)。騙されて怒る人もいないとは思いますが、今年こそは自分自身のためにも、もう少し書き進めたいと思います。(こう書くとまた詐欺の予感も・・)
私がいつも読ませていただいているブロガーさんが、年始に目標を立て、年末にその達成度を書いていらっしゃいます。
良き習慣は真似すべき!ということで、今年から私もやってみようと思います。
ちなみに今回の目標を書くにあたって、まずは思いついたことを羅列したのですが、ふと気づくことがありました。
それは、内容が生活習慣の改善と具体的な目標になっていること。そして、前者をしっかり意識することなしに、後者を達成することはできない、と思いました。
ということで、この順番で目標を書いていきたいと思います。
- とにかく不毛な考えにとらわれる時間を減らす。
これは生活習慣というより、それ以前の思考傾向であり、つねに私の行動を抑制するもっともやっかいなもの。あの手この手で、時間を奪っていきます。
最優先事項としてきっちり自覚し、あとに続く目標達成につなげたいと思います。
- 夕食を7時までに食べ始める。
家事育児と仕事、研究といろいろやっているため、時間管理はとても重要です。でも、なかなか配分がうまくいきません。「時間をうまく配分する」が本来の目標なのですが、何をもって「うまく」といえるのかわからないんです。
ただ不思議と、夕食がきちんと準備できる日は充実した日になっているような気がします。頭の中できちんとやることが整理されているのでしょうね。
- 体重を3~4キロ減らす。
この7,8年で少しずつ増えた分です。少しずつなので油断していたら、戻らなくなりました(笑)。実現のためには、食習慣や運動習慣、さらには子どもと外遊びするなど、いろいろ意識する必要があるので、今年こそ頑張ります。
- ブログを月1回以上書く。
ここからが、「書くこと」に生きる私の本分です。考えを文章にすること、それを読みながらまた考えること。そのすべてが、私を私にしてくれるプロセスだと思っています。
毎日ブログを書いている方から見たらアホみたいな目標ですが、とにかく昨年よりは書きます!絶対!
- ライターとして、与えられた仕事をきちんとやる。
このお仕事をどれくらい続けられるかは、つねにいま手掛けていることをきちんとやり遂げられるかにかかっています。「いい仕事をする」と目標を立てるには、まだまだ経験が足りません。
まずは「いまここ」に集中し、今年1年頑張ろうと思います。
- 論文を二本書く。
昨年末、3年ぶりに学会で研究発表を2回しました。その内容を、今年は論文にまとめます。
この時の経験を通し、大学の教員として頑張られているプロの研究者である先生方から見たら、私がやっていることは研究とは違うのかもしれない、とあらためて思いました。
それと同時に、それでも私はやはり研究者でありたい、と強く思いました。こんな私の研究でも、もしかしたら、どこかで誰かの役に立つかもしれない。そう信じて、いまは続けていこうと思います。
- 英語の試験を受ける。
具体的には英検1級。これは長年の目標なので、最後に書いておこうと思います。
さあ、今年の年末にはどうなっているでしょうか。このページを自分でも何度も確認し、しっかり意識するようにします。
千里の道も一歩から、いつも今日という日を大切に、丁寧に、過ごしていきたいと思います。
みなさまにとっても、どうか良い1年となりますように。
「経験から学ぶ」だけでは足りない
今日の材料:経験、学び、デューイ、コロナ
夏も終わりに近づいていますが、暑さはまだまだつづいています。そしてコロナの勢いも、衰えるどころかどんどん増している気がします。
コロナ以前から、予測不可能な時代になったと言われていました。でもコロナの経験はこの場に生きてなお、理解できない現実を私たちに実感させます。
VUCA(Volatility:変動性、Uncertainty:不確実性、Complexity:複雑性、Ambiguity:曖昧性の頭文字)という言葉は、未来ではなく、いまを象徴するものになりつつありますね。
よく「経験から学ぶ」と言いますが、コロナを経験すると、それだけでは乗り切れないと痛感します。
それならば、どうすればいいのか。
経験しながら、学ばなければならない。いまの私たちは、間違いなくそういう状況に生きています。
20世紀初頭に生きたアメリカの哲学者、ジョン・デューイの唱える「learning by doing」の考え方は、まさにそのことを示しています。
デューイの教育哲学によれば、教育とは経験の継続的な再構築だと。このプロセスそのものが、教育の目的だというのです。
いま生きている状況や、その関係性のなかで考えることが学びであって、それは過去の経験の結果ではない。現在進行形で考え、語らなければならないのです。
「いまここ」に集中すること。ある意味では、経験を活かそうとすることがかえって、近視眼的な学びを生み出す可能性もあります。
経験の積み重ね、といいますけど、重ねることでむしろ崩れてしまう。いま、私たちを取り巻く環境は、そんな危うささえ、もっているような気がします。
私はライターの仕事をしつつ、組織やそこで働く人たちに焦点を当てて研究をしています。もうすぐ人生、半世紀になろうとしていますが、いまだにこういう危うさを感じることばかりです。
いまも書籍のライティングをしていますが、以前かかわった書籍のプロセスとはまったく違い、いったんゼロに戻さなければ、とまさに今日も思いました。
そして、以前の書籍を創り上げるプロセスでは、研究者としての経験をゼロに戻さなければできなかった。ああ、あのときも大変だったな、と思い出します。
いつまでたっても、初心者から抜け出せない。いつになったら安定するのか、と思っていた私に、「安定なんて求めないほうがいい」と教えてくれた人がいました。
デューイの言う「learning by doing」の思想。それは、いつでも「初心者」の感性をもちつづけることといえるのかもしれません。
ふと周りを見渡してみれば、私の周りには年齢にかかわらず、安定を求めない人がたくさんいます。
これまでも、そんな人たちをブログで描いてきましたが、執筆や研究をつづけていくなかで、そういうネットワークがますます広がっていくような気がします。
類は友を呼ぶ、と信じて。
私も「いまここ」に集中したいと思います。
コロナの最前線で頑張ってくれている人たちは、否応なしに「learning by doing」の日々を送っています。こういう人たちが生み出す知恵、そしてその行動力にこそ、学ぶべきところがたくさんあると強く思います。
国や地方自治体のリーダーの人たちに、こうした人たちから学ぶ意欲があれば、と思わずにはいられません。
いまの状況には、誰もが「初心者」であると認める勇気と覚悟が必要だと思います。