「働く」と「生きる」を楽しむためのレシピ

「人生100年」と言われるようになり、生涯現役がもはや当たり前の時代に突入。一人ひとりが「自分らしさ」を見つけ、ワーク&ライフを楽しむためのヒントについて考えていきます。

ワクワクは「見つける」のではなく「つくる」ものだ

今日の材料:ライター、仕事、好きなこと、ワクワク

前回の日記で【日常をルーティン化したい 】と書きました。

私の日常は「書くこと」が中心。少し前までは研究分析など自主的に書いていましたが、いまは期限のある仕事もしています。

いわゆるフリーライターという立場です。

ライターに限らず、フリーランスや自営業の仕事「あるある」の中には、仕事時間を自分でコントロールしなければならないことがあるように思えます。

フリーであるがゆえに、オンとオフもつけにくくなります。ただ好きなこと、興味があることに取り組んでいる場合、ずっとオンでも苦になりません。

ちなみに会社などで働いていると、自分の望む仕事ばかりできるわけじゃない。だから、むしろオンとオフを切り替えないとやっていけない。

・・・と私は思っていました。

でも、「働く」と「生きる」を考える私の指南役かつパートナーI社【 ※参照】の社員さんが、定時後に自主的な活動をしていたころの話をこんなふうに話してくれました。

「一番の楽しみだったから、それに合わせて仕事をしていた。今日飲み会があれば、それに合わせて仕事する、というのと一緒」。

多くの人があり得ない!と思う内容。でも誰の人生にも、理屈抜きで好きなことは必ずあるはず。彼にとってそれが、たまたま会社という場にあったというだけのことです。

会社でする仕事はつまらないというのは、固定概念なのかもしれません。会社でだって、オンとオフをつけなくてもいいほど好きなことがあるのです。

どんな場でも「ワクワク」は見つけ出せる。というより、「ワクワク」は自分でつくり出すものなのかもしれません。

 

 

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私にとって「書くこと」は好きなことです。書きたいこと、興味があることもたくさんあります。

でも、あれこれ考えすぎて、まとめるまでに異常に時間がかかる遅筆タイプ。だからブログもなかなかルーティン化できませんでした。

そうこうしているうちに、「書くこと」が仕事になり、なかば強制的に日常になりました。

私は心のどこかで「好きなことは仕事にしない方がいい」と思っていました。好きなことが義務になったとき、嫌いになってしまうかもしれないと。

でもライターという仕事を始めてから、ずっとオンの生活でも決して苦ではなかった。むしろ、ブログをもっと日常的に書きたいと思うようになりました。

相変わらず遅筆ですし、あれこれ考えはするのですが・・。こうして書き溜めていくことに、ワクワクしています。

改めて思います。ワクワクは、どこかに隠れていて見つけるものじゃない。行動することの中から、自分でつくるものだと。

行動することで知恵が生まれる 】という記事を書いたことがあります。華やかな成果ではなく、地味なことの積み重ねの中に、自分にしか見つからない知恵がある、と。

ブログを書くことも同じかもしれません。これまでのように肩肘を張らず、等身大の日常を書きつづけるなかで、今まで見えてこなかったことが見えてくるような気がします。

だからライターという仕事は、天職だと思っています 

 

※ブログを書くことに関して、こんな記事も書いています。

 

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日常をルーティン化したい

今日の材料:ブログ、日常、ルーティン、ライター

半年近くブログ更新が滞ってしまいました。

いつものことながら、ブログ執筆をルーティン化できない自分が情けないです。でも、「やめなければ継続」という言い訳、ではなくモットー(笑)にともない、またしれっとブログを再開したいと思います。

「働く」と「生きる」をいかに「楽しむ」ことができるか。この半年も、常にこのテーマは私の日常とともにありました。

そして、私にとってその根幹にある「書くこと」が、ライターという仕事を通してより日常となりました。

ブログ執筆を含め、もっと日常をルーティン化して、メリハリのある生活にしたいと思います。これまではコラムを中心に書いて来ましたが、これからは少し自分の日常的なことも書いていきたいな、と思っています。

 

 

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日常のルーティン化を目指して、自分のとりまく環境を少し整理してみます。

数年前まで社会人大学院生だった私は、組織と個人を対象に研究をしています。コミュニケーションやアイデンティティなどのテーマに関心を持っています。

働く人たちの語りを分析し、個々の考え方や関係性から組織の現実を見出すという目的をもって研究をつづけてきました。

そんな私が、大学院生時代から長くおつきあいさせていただいたある組織のストーリー。それを一冊の書籍にするという仕事を、つい先日完了させました。

この本は市販本ではありませんが、多くの方に読んでいただく機会があります。いろいろな感想をいただくたびに、本当に良い機会をいただいたと感謝しています。

そしてこの本づくりをきっかけに、Web記事と書籍のライターとして仕事をいただくことになりました。

いろいろな人に助けられ、日々とても大きな発見があります。

もちろん、研究も続けています。ある大学のゼミ活動を分析するというこの研究、先生や学生さんにお話を聴いたり、活動を観察しています。

大学という教育の場について問い直し、若き人材の学びと成長がどんなふうに生み出されるのか、深く考えています。

研究を通して得た知識や考え方を、より日常的な場で伝えていきたい。その使命感をもって、今後も研究と実践の垣根を超えた執筆活動をしていきたいと思います。

子どもは、小学校2年生になりました。コロナ禍での小学校入学から1年、非・日常が日常になりつつあります。相変わらず、子育ての中で考えさせられることは多いです。

まさにいま思うのは、子どもにも行動をルーティン化してほしいということ。学校から帰ってからの行動習慣、休みの日の過ごし方など、メリハリをつけることで、心も体も成長します。

子供は自分自身の鏡。まずは、私自身がもっと意識しなければいけませんね。

3足のわらじを履いている私です。日常をルーティン化するために、このブログの場をもっと活用して、しっかりと自分を振り返っていきたいと思っています。

改めまして、どうぞよろしくお願いいたします。

 

※書籍化させていただいた組織のストーリーを、これまでもいくつか書いています。

 

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※研究しているある大学のゼミのストーリーも書いています。

 

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自分は変えられるのか、他人は変えられないのか②

今日の材料:教育、先生、学び、学部ゼミナール、あきらめること

「他人と過去は変えられないが、自分と未来は変えられる」

前回に引き続き、この言葉が意味することを問い直していきます。

 

kiki-sh.hatenablog.com

 

このブログでこれまで、教育に関する記事を何度か書いてきました。【未来型人材育成―「何を教わるか」ではなく「いかに学ぶか」を考える】、【新たな学びを生むために、一人ひとりが出来ること 】、そして【知識に価値があるのは、興味という基礎があるからだ 】。

教育という場を通していかに一人ひとりが「自分らしい」学びを見つけることができるのか。そしてこの学びの主体は、「教えられる側」だけでなく「教える側」でもある、ということ。いずれの記事も、そのことが根底にあります。

人は学ぶことによって成長します。そして成長とは、まさに「変わる」こと。そういう意味では、教育というのは自分を変え、他人を変えるプロセスなのかもしれません。

私はある大学の先生と学生のストーリーを聴いて、このことを改めて考える機会をもらいました。

「働く」と「生きる」を考える私にとって重要な出会いがあった昨年末。【今後の自分に向けて、今月を振り返る】という記事で書いた大学教員のY先生とは、今年に入ってからも何度か対話を重ねていました。

そんな中で、私は先生ご自身の運営する学部ゼミナールのすっかりファンになってしまいました。

教育者として、「ここまで・・」と思えるほど自分と向き合うY先生。そしてその先生の下で、社会人顔負けのマネジメント経験をする学生たち。私が思い描く「学びのプロセスの創造」がまさに行われています。

そんなY先生は、海外フィールドワーク(FW)をゼミ1期生から続けてきました。大学と教員が培ってきた経験とネットワークを駆使し、個人では絶対に体験できない学びの機会が提供される貴重なプログラムです。

とはいえ、学生たちの安全を確保し、有機的な学びを結むためには、教員だけでなく学生たち自身が相当の時間と労力を使って取り組む準備プロセスが不可欠。その大変さを何度も経験してきたY先生はある年、一度計画された海外FWを中止する決意をしました。

もともと参加予定だった3年生たちの多くが、個人的な事情で不参加表明をしたことが原因でした。その年は例年とは違う多くの試みが予定されていただけでなく、学部再編によってY先生自身も奔走していました。

海外FW未経験の2年生を中心に進めていくには無理があり、Y先生もモチベーションの低下を正直に認めました。この状態での敢行は不可能と判断して、新規ゼミ生となる2年生に対して中止を表明したのです。

海外FWの意義を熟知し、継続してきたY先生にとっては大きな決断でした。でもY先生は、ご自身の人生観の中で「大切なものをあきらめること」を、意識的に行う必要があると考えていました。

ところが中止宣言後、ある2年生から問い合わせがありました。そしてその学生とやりとりを通して、先生は一度中止宣言をした海外FWを復活させる決意をしました。

確固たる信念を持って教育現場に立つY先生にとって、中止を翻すことは中止宣言をすること以上の覚悟が必要でした。学生からの信頼を失うリスクも背負う覚悟です。それでも、問い合わせてきた学生Mさんの想いに向き合うと決めたのです

 

 

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その時のことを、Y先生はこんなふうに話しています。

 

自分を変えなければいけなかった。ここまで継続性を持ってやってきた海外FWを、自分のスタンスとか指導方針で中止にしたのは自分。それを変えるということは、自分そのものを変えなければいけなかった。だからこそ、復活させる時は「ゼミの威信をかけて」敢行すると宣言。現実的に難しいことを「やってのける」という考えだった。

 

世の中には、教育で最も大事なことは自分の信念を生徒に教え込むことだ、と信じて疑わない先生がいます。確かに、人を導く責任の大きさは計り知れない。それくらい強い意志がなければ、教員は務まらないのかもしれません。

でも私はある経験を通して、「やはり、それは間違っている」と確信しました。それは私自身が「教えられる側」として、「教える側」の立場であった人を強い反面教師として認識した時のことでした。

その時得た教訓として、ある記事でこう書きました。

「私が持っている信念にだって、見失っているものがあるかもしれない。常に自分を問い直し、今大切なことは何かということを考え続けなければいけない。どんな信念にも絶対はない。」

この記事は今は非公開にしています。でも私はこの時、7年間「大切にしていたものをあきらめ」ました。

Y先生のこのストーリーを聴いた時、自分の経験を思い出さずにはいられなかった。そして思いました。「ああ、自分があきらめられる先生もいるんだ・・」と。

そして、問い合わせをしてきた学生Mさんは、決して抗議をしてきたわけではありません。でもY先生は、Mさんの海外FWに対する声にならない声を感じ取り、そのことを丁寧にヒアリングし、最終的に一緒に協力しながら困難を乗り越える決断をしたのです。

学びの大切さより自分の体裁を守ったり、面倒な仕事を増さないことを優先する先生もたくさんいる中で、この人こそ教育者なんだ、と私は思いました

そして、「もし一度あきらめていなかったら、それまでのこだわりを引きずって上手くいかなかったと思う」と自身のあり方を振り返るY先生の言葉にも、心から納得しました。

結果として、Mさんがリーダーとなって準備を進めたこの年の海外FWは、大きな成果を得ました。レポートを見ても、現地の文化、働き方や生き方に対する深い理解と、それに対する自国のあり方を問い直す姿勢がよく伝わり、この経験がその後のゼミ活動の充実にいかに大きな影響を及ぼしたかがわかります。

とはいえ、物事を淡々と進めるタイプのMさん本人が「先生の前で泣きました」と語るほど、準備の苦労は計り知れなかったようです。でも、それまでリーダー経験のなかったMさんは、この経験がいかに大きかったかということ、そして、今も大学生活の中での時間や学びの大半はゼミ活動にあるということを、語ってくれました。

日本の大学の学部ゼミナールは、専門知識を得るという大学の機能とその後の社会活動をつなぐ上で、重要な役割を果たしていると私は思っています。

でもその場をいかに創るかは、やはり教員の技量にかかっています。自分の大切なものをあきらめられる、そして一人の学生の言葉でそんな自分すらも変える覚悟をもつY先生。この先生のゼミでなら、学生たちは必ず「自分らしい」学びを見つけられるでしょう。

Y先生はこの経験を振り返る中で、ふと「問い合わせがあった時点で、海外FWを復活させようと決めていたのかもしれない」と言っていました。

教員の方から中止決定を宣言したことに対して、学生が問い合わせをすることは、なかなかできません。その瞬間に、彼女がいかに真剣に海外FWに取り組む決意を持っていたかを悟り、こういう学生のためにこそ海外FWを行うべき、という自身の信念を再認したのでしょう。

再開の決断は、Y先生とMさん二人のやりとりに中で築き上げられた意志でした。そしてその結果、Y先生とMさん、そしてこの期のゼミ生全員が、意味ある学びのプロセスを創造しました。やはり変化と成長のプロセスを生み出すのは、個人の力ではなく、関係性の力だ、ということを、改めて確信しました。

Y先生の学部ゼミナール(Yゼミ)でどんなことが起きているのか、これから少しずつ紐解き、このブログでも綴っていくつもりです。

 

 

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自分は変えられるのか、他人は変えられないのか①

 今日の材料:自分を変える、他人を変える、社長評価、意図せぬ「問い」

「他人と過去は変えられないが、自分と未来は変えられる」

カナダ出身の精神科医エリック・バーン氏の有名な言葉です。エリック・バーン氏は自らの心理学理論に基づく心理療法交流分析』を考案した人。『交流分析』は、自分自身、そして自分と他者との交流の仕方を構造的に分析する方法です。心理学の授業やカウンセリング等の資格試験で、必ずといっていいほど紹介されています。

そんなバーン氏のこの言葉、人間関係や生き方などを考える上で、私自身も若い頃からずいぶんと役立ててきました。

でも最近、少し違う思考が芽生えています。それは、「自分」という存在は他人との関係性の中でしかとらえられない、と考えるようになったからだと思います。

そのことは、【「自分らしさ」や「自分探し」という言葉が嫌われる理由 】、【「自分とは何か」を探るヒントは人との関係性の中にある  】という記事でも書いてきました。

もし関係性を問わず揺るぎない「自分」などない、という前提に立つなら、果たして「自分を変える」ことは可能と言い切れるのか。その一方で、関係性という視点に立つならば、自分の影響で「他人を変える」ことは、必ずしも不可能とは言い切れないのではないでしょうか。

そして過去についても、確かに物理的に起こってしまった出来事は変えられません。でも、【自分史を書いてみませんか】という記事でも書いたように、過去はそれを思い出す「今」の自分が創っている部分がとても大きいのです過去は本当に変えられないのでしょうか。

そんなことを考えていた私に最近、過去と関係性を問い直す興味深いストーリーを聴く機会がありました。今回はそのうちの1つをご紹介します。

 

 

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「働く」と「生きる」を考える私の指南役かつパートナーI社のI社長。【多くの人が変わるには、多様なきっかけが必要だ 】という記事で書いたように、20年近く会社の改革を続け、社員たちに気づきと変化のきっかけを与え続けています。余談ですが1年近く前に書いたこの記事、検索で今でも毎日のように読まれているようです。

そんなI社長が改革を始めた時、一方的な改革になってはならないと考えました。そこで社長になってすぐ、無記名で社長評価をしてもらうことを自ら決定したのです。毎年続ける中で、当初はいわゆる「ハネムーン期間」で高い評価を得られたものの、数年後に評価が逆転、支持しない人が半数に上るようになりました。

悩んだ末、I社長は「自分がどう変わるべきか」を部門長たちに相談しました。自分自身の経営行動を見直すための意見が欲しかったのです。でも、その言葉を聞いて評価を見直した部門長たちの反応は、意外なものでした。

これは社長に対する評価ではなく、自分たちが社長の考えや想いを部署の社員たち伝えきれていないことに対する評価なのかもしれない。

社長評価を自分事としてとらえ、自分たちがこの後どうすべきかを考え始めたそうです。その時のことを、I社長はこんなふうに話しています。

予想もしていなかった反応がかえってきたので、驚いたと同時に新たな発見がありました。自分の弱みを見せたことで、それまでとは違った関係性を築けることができたのは、私の人生でいくつかあった大きなターニングポイントの1つです。そのぐらいインパクトの大きい出来事でした。

I社長はこの改革を始める前、一方的な「やらせ」によって社員たちの意識改革に失敗するという苦い経験をしていました。だからこそ、常に社員との関係性を意識しながら、「いかに気づきを与えられるか」を問い続けてきました。

でも、そこまで考える社長であっても、社員から評価を得ることは簡単ではない。経営というのものの厳しさを改めて実感しますが、そんな中で意識された部門長たちとの関係性の変化。そのことが人生の「ターニングポイント」と話すI社長自身にとって、自分の変化を感じる瞬間だったことは間違いないでしょう。

決して意図したわけではないものの、この「助けてほしい」という言葉は、部門長たちを動かす究極の「問い」だったのです。でもこれは、言葉そのものの力ではありません。社長がとことん自分に向き合った上で、発した言葉だったからです。そもそも、自分を評価することを自ら決定できる社長など、この世に一体何人いるでしょうか。

今、I社長は「自分らしい経営ができている」と自信を持って語っています。でもそれは、このストーリーを含めた無数のストーリーの積み重ねでした。この積み重ねの中で今、最初の「苦い経験」すら自分自身の経営行動の原点だった、と感じています。「過去」は違うものとして解釈されるようになったのです。

日常の中で「自分とは何か」に真剣に向き合い、関係性に敏感でいることから生まれた意図せぬ「問い」。そして、それが自分自身や周りの人を変えること。もしかしたらこういう経験、振り返れば、大なり小なり誰にでもあることではないでしょうか。

大事なことは、その経験を振り返り、問い直すことができるかどうかです。省みることができない過去は、変えることはできません。だからこそ、「対話」できる相手を大切にしたり、自ら「対話」の場を切り拓いていくこと。その努力の積み重ねで、初めて過去のある時点から、自分が変わったことに気づけるような気がします。

変化とは、過去を問い直す自らが創り出す産物。そして、その「気づき」が未来を変えていく。そんなふうには、思えませんか。

次回は同じテーマで、違うストーリーをご紹介したいと思います。

 

 

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「心の強さ」は性質ではない

今日の材料:心の強さ、信念、行動、継続

40代も半ばを過ぎ、「書く」ということの中にようやく自分の道を見つけた私。これまでの人生は悩みや迷いばかりでしたが、これからは、それらも全て糧にして「働く」と「生きる」を思いきり楽しみたいです。

でも、歳を重ねてもなお手を焼いている自分の性質があります。それは、気持ちの切り替えが極端に下手だ、ということ。例えば人との関係性で何か納得がいかないことがあると、なかなか先に進めなくなってしまう。心の弱い人間です。

もちろん、そこで自分にとって価値あることにも気付いてきました。【答えは簡単に見つからない方がいい 】や【物事の価値を築くのも、やはり人との関係性だ】、【今、自分にとっての「繋がり」とは何か 】などの記事は全て、経験を問うことで導かれた発見です。

でもこうしたアウトプットも、切り替えなければ出来ません。結局はブログ更新が滞ることの言い訳でもあるのですが、自己コントロールが下手な私は感情に負けず自分を維持できる「心の強さ」を持っている人を尊敬しています。

「働く」と「生きる」を考える私の指南役かつパートナーであるI社の常務Nさんは、まさにそういう人です。多方面にプレッシャーを背負う会社の幹部という立場にありながら、いつも明るい笑顔で楽しい話をしてくれて、周りも笑顔にしてくれるのです。

I社では、これまで多くの社員の方たちにお話を伺ってきました。そのほとんどをアレンジしてくれたNさんは、インタビューの前後に必ずその社員さんの話をしてくれるI社の母のような存在。お話の中にもいつも愛(と笑い!)が溢れているのです。

こんな感じでいつも他の人の話ばかり聞いてきたNさんにある日、ご本人のことをじっくり聞いてみました。そこで改めて、Nさんの強さを感じました。

 

ケンカして言い争いして、勝つ時もあるし、負ける時もある。勝つ時が多ければ多いほど、人が従うけど、自分ではそれは合わないから、常に和睦の精神で話をして、そうすると被害者が少ないし、納得が生まれる。

 

そう語るNさんは、かつてI社の大きな改革が始まった時、反対する人たちからかなり厳しい態度をとられていました。でも、そんな人たちにも毎日笑顔で挨拶をし続け、いつしか「Nくんが言うなら、わかった」と相手の態度が軟化していったのです。

今でも、Nさんからのメールには、どんなに忙しくても「今日良い天気ですね」、「そろそろ桜咲きますね」という言葉が添えられています。やむを得ず断りを入れるときも、決して敵を作らない配慮があります。

Nさんと接したことがある人は誰でも、その笑顔と言葉の力を実感していると思います。

実際には「言うは易し、行うは難し」といえるこうした行動。この「明るさ」を貫こうとすれば、相当に心が強くなければ出来ないでしょう

 

 

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過去の話をしているから言えるけど、矢面にいる時は、そんなにかっこいいもんじゃない。

 

Nさんは言います。確かに、職場の日常というのは仕事の煩雑さや人間関係の複雑さでいつだって混沌としています。出口の見えない長いトンネルのような場所で、いつでも前向きに、心身を安定させて頑張れるものではありません。

Nさんも常に不屈の精神を持っていたかといえば、そうではなかったようです。ちょうど私と同じくらいの年齢の頃、不眠症になってしまったとか。24時間改革に頭を巡らせ、枕元に紙とペンを置かないと怖くなり、心身ともに疲弊してしまった時がありました。

そういう自分の弱さも自覚しながら、どんなに厳しい状況でも「明るさ」を貫いてきたNさんの強さは一体どこからくるのでしょう。

 

やっぱり社長と共に歩むんだって決めたから。説明は出来ないけど、納得できる。決めないと、迷っちゃう。そういう考え方もいいけど、こういう考え方もいい、と。でも決めれば、そこを一つひとつやっていけばいい。

 

そうか、そうなんだ、と心からの納得がありました。 Nさんの明るさは、「単にその場の空気を良くしようとか」、「争いごとを避けよう」といった目先のことではなく、より大きなものを変えて行こうとする信念に基づいているのです。

未来へ向かう行動の目標は、変化してもいい  】という記事で、私は「本当に人を動かすのは他者の評価ではなく自分の信念だ」と書きましたが、改めてそう思いました。どんなに先の見えない毎日でも、自分が決めたことを信じて行動し続けられるかどうか―「心の強さ」は性質ではなく、行動の継続から生まれてくるのです。

切り替えが下手で、すぐに自己嫌悪に陥る私―でもそんなことはどうでもいいんです。書くと決めたら、とにかく書き続ける。四の五の言わずに、やるべきことをやればいい!今、そんな風に自分に喝を入れます。 

そんなNさんに「個人としては、どんな会社が理想ですか」と聞いてみたら、こんな風に話してくれました。

 

ルールのない会社。社員が全員自立している。「ここまではいい」「ここまではいけない」「ここはこうすべきだ」っていうことが自分で決められる。そういう人が、本当に優秀な人間だと私は思う。今本当に必要なのは、働き方改革じゃなくて、生き方改革だよね。

 

Nさんのイメージの中ではきっと、会社は働く人が四方八方からコントロールされる「箱」ではなく、一人ひとりが自分の人生を生きる「場」なんだな、と感じました。恐らく日本国内の多くの経営者が持つ感覚とは全く異なるものでしょう。

一人ひとりの生き方が会社を作る。だから会社は社員に、「どう生きるか」を考える場を提供する。そんな構図がI社にはあります。Nさんの会社イメージがいつか実現できるとしたら、それはきっとI社でしかないだろうな、と思います。

そして私は、こうして自分が感じたことを出来る限り文章に表すことで、自分らしい「働く」と「生きる」を実現したいと思います。

 

 

 

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今、自分にとっての「繋がり」とは何か

今日の材料:ブログライフ、繋がり、関係性の変化、自分らしさ

久々にブログ活動を再開し、みなさまのブログもお散歩させていただいています。ブログライフを満喫することが出来て、すごく幸せです。

そして改めて、自分にとっての「繋がり」とはどういうことなのかを考える良い機会になっています。

ブログの世界では、自分の興味関心に本当に素直になれるように思えます。【人間関係の広がりは、ネット(網の目)からノット(結び目)へ 】で書きましたが、今の私は「広く浅く」でも「狭く深く」でもない、純粋な興味や共通性で繋がることが出来るノットな関係性に心からの納得があるのです。

でも日常を生きていると、思いもよらない出来事で負のスパイラルに陥ってしまうことがあります。人と人との関係性は、自分だけで考えたようにコントロールできるほど単純なものではないですよね。

無意識に相手に期待したりそれを裏切られたり、そこで心が乱れて自分を見失ってしまったり、関係性の構築や自分らしさの追求は、日々の思いもよらない出来事であっさりと揺さぶられます。

ブログから少し離れていて良くわかりました。日々刻々と変わる生活の中で、自分が一体何に揺さぶられているのか、そして自分にとって一番大事なことは何なのか。ブログを読んだり書いたりすることで、そういう自分の心の声にきちんと耳を傾けることが出来るのです。

 

 

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「繋がり」とはちょっと逆説的な話になりますが、意見の相違があるとき、よく「人と意見を切り離す」べきと言われますよね。

私自身も【創造性は意外性から始まる―異なる視点を受け入れてみよう】で書いたように、異なる意見を受け入れることは人生を豊かにしてくれます。でも批判や反論に出会うとつい、私たちは悪い方に判断してしまいます。記事では、その判断を一旦横に置く、留保してみようとも書きました。

判断の留保は、「人と意見を切り離す」ことの第一歩です。

でも 実はこの考え方、意見の相違よりむしろ、一致する場合により意識することが大事なのでは、と最近思うようになりました。

共感できると思った相手ほど、なぜ、どこが、どのように共感できるのか、感情的にならずにじっくり考えることが必要ではないか、と。

感情がもたらす「悪」の判断以上に、「善」の判断の方が関係性の構築に影響を与えることがあるからです。

近すぎる関係性の弊害、適度な距離を保つことの大切さは、良好な人間関係を作る上で頻繁に問われることです。共感できる相手に思った以上に依存してしまい、逆に関係性を悪化させてしまうことは、近しい付き合いの中で頻繁に起こりますよね。

いわゆる「ママ友」関係などでよく語られることですが、「ママ友」に限らず愛憎が表裏一体となることは多く、相手に対する想い入れが大きいほどその反動による感情のもつれ、関係性の悪化は手が付けられなくなってしまいます。

「人と意見を切り分ける」ということは、むしろ共感できる相手にこそ意識した方が、良い関係性の構築や自分らしさの追求につながっていくのかもしれません。

とはいいながらも、関係性に敏感な人ほどそれが上手くいかないことは良くあります。私自身、余計なことを考えすぎて書くことの手が止まってしまうこともしばしばです。

そんな時、純粋に自分の興味関心に向き合えるブログに集中することで、迷子になってしまった自分をちゃんと元いた道に戻すことが出来るような気がします。

ブログの更新が遅い私でも、そう思えるのです。だからブレずに歩き続けているブログ仲間のみなさんは、もっともっとこの「繋がり」をご自身の人生に生かされているんだろうな、と感じています。

 

 

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改めて気付いた、ブログの意味

今日の材料:ブログの意味、繋がり、意識転換、脱力

前回の更新から2ヶ月以上経ってしまいました。みなさま、お元気でしょうか。

この2ヶ月はどうしても集中したいことがあり、ブログに手が付けられませんでした。そもそも更新頻度が低い当ブログですが、書き上げるのに時間はかかるものの思考は常にこの場にありました。全く手を付けられないのはやはり辛かった・・。

改めて自分にとってのブログの意味、日々のル―ティンの継続がもたらす効果を実感しています。

ただ、この期間に一つ気付いたことがありました。どれだけ期間が空いても、私はブログを終わらせることはないだろう、と。

書くことへの信念は、もう揺るがない 】という記事で書いた通り、これからの人生、どんな形であっても書いていくことは絶対にやめないと思います。実はこの2ヶ月も、別の場で書くことに注力していました。

そしてその内容をベースに、これから論文にも挑戦するつもりです。

でも、ブログでみなさんと交流しながら自分の思考を問い直すということには、それとは違う大きな意味があるということに今回気付きました。

というより、この場が研究を含めた様々な自分の発信をより豊かにするものだ、とはっきりわかりました。

 

 

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以前【続けるコツは、結果に振り回されないこと 】という記事で、最初に何を思って始めたのかを心に持ちつつ、日々の自分に向き合っていれば、物事の継続はいつか必ず道を開いていくと書きました。

でもそのプロセスは、たった一人で達成できるものではないのかもしれません。

人間関係の広がりは、ネット(網の目)からノット(結び目)へ 】で書いたように、今の私にはブログが広い網の目(ネット)の中で結び目(ノット)を作り、その繋がりが自分の道を進んで行く上でなくてはならないものだ、と感じています。

以前の私だったら、一度期間が空いてしまったらブログを続けられなかったかもしれません。続けるコツは・・なんて記事を書いていた自分が全然続けられていないなんて、情けなさすぎますから(笑)。

でも今は、「やめない限りは継続だ!」と開き直っています。小さなプライドで大切な場を失うわけにはいきませんから。

今、世の中は新型コロナウイルスの感染拡大が再燃し、今後の生活のことを考えると改めて究極の意識転換、パラダイムシフトが必要です。

これまで注力することばかり考えてきた私ですが、これからは上手く脱力もしながら、書き続けていきたいと思います。

改めてまして、宜しくお願いいたします!

 

 

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