「働く」と「生きる」を楽しむためのレシピ

「人生100年」と言われるようになり、生涯現役がもはや当たり前の時代に突入。一人ひとりが「自分らしさ」を見つけ、ワーク&ライフを楽しむためのヒントについて考えていきます。

創造性は意外性から始まる―異なる視点を受け入れてみよう―

今日の材料:悪魔の代弁者、意外性、創造性、判断留保

ブログを書いていてスターやブックマーク、励みになるコメントを頂き、継続のモチベーションを各段に上げてくださる皆さまには、いつも本当に感謝しております。

そして時々、「そこきますか!?」と思えるような視点からのコメントを頂くことがあり、驚きとともに考えを掘り下げる良い機会をもらっています。

書くことも読むことも対話だ」という記事を以前書きましたが、こういう意外性はやはりコメントのような直接のやり取りの中で起こるように思えます。

ところで、この意外性を意図的に生み出すことで創造性を広げるという手段があるのを、ご存じでしょうか。

「悪魔の代弁者」(devil's advocate)といわれるものです。

この言葉は、カトリック教で故人を聖人として認めるか否かの審議において、指名される役割からきています。「悪魔の代弁者」に指名された人はあえて故人を非難し、それでもなおその人物が聖人に値するという合意が得られてようやく、聖列に加えられるのです。

そこから転じ、議論や討論などで多数意見に対して反対や批判を言う人のことをこのように呼びます。「悪魔の代弁者」は同調圧力や予定調和を崩し、自由な発言と活発な意見交換を促そうとする人や役割ととらえられています。

 

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たまに「私はあまのじゃくなんですよ」という人に出会うと、私はいつもこの「悪魔の代弁者」を思い出します。でもこの方法、私が以前書いた「そもそも論」(☆参照)以上に、諸刃の剣になりやすいことは容易に想像出来ますよね。

批判や反論に出会うと私たちはまず、「判断」をしてしまいます。感情が先に善悪の判断をしてしまうと、その内容を受け入れる前に拒否反応を起こしてしまうのです。

でも人生を振り返ってみると、異なる意見が自分の考えを大きく変え、その視野を広げてくれたということは少なくありません。人というのはどう頑張っても、自分自身の視点から逃れて物事を見ることは出来ないものです。だからこそ、意識して異なる視点を知ることは、遅かれ早かれ自分の人生を豊かにしてくれるものだと思うのです。

では、感情的な判断をする前に出来ることはあるのでしょうか。

異文化圏などで生活するときに必要な工夫に、「判断留保」というのもがあります。これは先に書いたような善悪の「判断」を一度横に置いて、純粋に相手の言動の背景に興味を持ってみるということです。

私は以前、ある国のファーストフード店で買い物をしていたとき、明確な順番がわからない状況の中で店員が声を掛けてくれるのを待っていました。でもその店員はなかなか声を掛けてくれないどころか、迷惑顔をして私の顔を見ていたのです。

私はすごく嫌な気持ちになり、買うのを諦めて店を出ました。でも、そこでは自分から注文を言わなければならない、ということが後からわかりました。何も言わずにぼーっと突っ立っていた私は、店員にとってはむしろ迷惑な客だったのです。

もしその時「嫌な店員だ」という判断を留保したとしたら、私は別の対応を試み、違う結果になっていたかもしれません。

現実には、無意識に起こるこうした感情を抑えるのはなかなか難しいものです。でも異なる視点が必ずしも「悪」ではないという意識を根底に持ち、ほんの少しだけ判断を留保してみることで、今見ている景色は少しずつ変わってくるのではないでしょうか。

ちなみにこの「悪魔の代弁者」は、客観的に存在するだけでなく、自分で作り出すことも出来ると私は思っています。

例えば、私が頂いたコメントは決して批判や反論というものではなく、単純に私にとって意外な内容というだけでした。

ただ、意外性を自分の中で興味に変え、さらに膨らませていくことでも、自分の視点を広げることは出来るように思えます。

反論や批判に応えることはハードルが高いですが、日常の中で目にする意外性に目を向け、それを追求していくことから始めてみるのも良いかもしれません。

悪魔はいつも、あなたのそばで見つけられるのを待っています。

 

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