「働く」と「生きる」を楽しむためのレシピ

「人生100年」と言われるようになり、生涯現役がもはや当たり前の時代に突入。一人ひとりが「自分らしさ」を見つけ、ワーク&ライフを楽しむためのヒントについて考えていきます。

キャリア教育と学びの可能性

今日の材料:大学生、コロナ禍、キャリア教育、キャリア支援、学び、成長、未来の担い手

先日、コロナ禍で大学に思うように通えない学生たちが、より早い時期からのキャリア支援を望んでいる、という記事を読みました。

 

www.bizreach.co.jp

 

なかでも具体的な要望として、つぎのような声が挙げられています。

 

「学生時代の活動を、社会のなかでどのように活用できるか知りたい」

「自分なりのキャリアを歩むためのサポートをしてほしい」

 

より個別具体的な支援が求められているんだな、と感じます。

ただ、ここで語られていることは就職活動のときだけではなく、生涯をとおして探究し続けることという気もします。

就職は「ゴール」では、なくむしろ「スタート」。就職活動は、いまある仕事の枠組みを知ったうえで自分の欲求や信念に向き合う機会であり、これから築く人生の目的の起点となるもの、という前提が必要だと思います。

以前【未来型人材育成―「何を教わるか」ではなく「いかに学ぶか」を考える】という記事を書きました。

ここで言いたかったことのひとつは、教育を受ける側だけではなく、教育に関わるすべての人が学びの主体だということ。もうひとつは、「いかに学ぶか」は事前に決められることではなく、学びの過程で創造的に広がっていくということです。

いま大学のキャリアプログラムは、以前に比べてワークショップ形式などが取り入れられ、自己表現や対話の場がかなり増えました。また、企業人を大学に招いての講演やインターンシップなど、企業と学生の接点も増えています。

こういう場を増やしたり、対象者を広げることは大切です。ただ、キャリア教育は就職活動を軸に行うのではなく、教育課程全般をとおして行うべきことのようにも思えます。

学生だけでなく、教育者もまた自分の欲求や信念に向き合うこと。自分たちの学びや成長が社会の発展とどうつながるかということを考え続け、語り合うこと。その積み重ねによって、キャリア教育に本当の意味が生まれるのではないでしょうか。

 

 

f:id:kiki_sh:20220323175417j:plain

 

 

いま大学生のゼミ活動を研究していて、2020 年度以降の大学生活の大きな変化を私も肌で感じています。 

でも、大学生たちはこの状況に閉塞感ばかりもっているわけではありません。制約があるからこそ気づきや発見があり、成長するための工夫やエネルギーが生まれることもあるのです。 

インタビューをするなかで、こんな話をしてくれた学生に出会いました。 

彼女はコロナ前には特別な目的意識はなく、それなりに楽しく学生生活を過ごしていました。でもコロナによって、その生活が一変しました。 

 

鬱とまではいかないんですけど。これは、あかんってなって。なんかやらんといけん、って。なんか、私みたいな人っているんじゃないかな、と。この状況に不安だとか、孤独だとか、とにかくネガティブな感情が、今こういう状況で持っている人いるんじゃないかな、って。そういう人を自分が助けられたらいいなって思って動き始めたら、いろいろゼミのことを改めて知ったり。それできっとモチベーションが、上がったんだと思います。 

 
彼女は、ゼミの先生に「自分にできることはないか」と連絡しました。 

コロナは誰にとっても未知の出来事。困惑し、思考が止まってしまったのは先生たちも同じでした。そんななかで学生のほうから前向きな声があがり、先生自身も救われたのです。 

先生から「リーダーになって何かに取り組んでみたら」と声を掛けられ、その後お互いに相談しながら、新たな活動が始まりました。 

別人かと思えるほど変わった彼女は、創造的なビジョンをつくり、上手にみんなを巻き込みながら、淡々と実践するリーダーシップを発揮しました。 

卒業を前に、彼女は先生に手紙を書きました。そこには、忙しく大変だったけど「今」に夢中で必死で、とても楽しかったと書かれていました。 

 

これから私は社会の小さな歯車になり、忙しさに呑まれ、社会の”ルール”に染まり、いつか自分じゃなくなってしまうかもしれません。でもそのときは、ありのままの私でがむしゃらに先生と一緒にめっちゃ頑張り、輝いていた日々を思い出して、自分らしく生きれたらなと願っています。 


手紙は「これからも別々の道になりますが、”共に”頑張りましょうね!!」という言葉で結ばれていました。彼女の存在は先生にとっても、それまでの学生との向き合い方を問い直す学びを生むものでした。 

キャリア教育やキャリア支援は、一義的なものではない。あらためてそう感じます。誰が、いつ、どこで、何を学ぶのか――。そこに決まった枠組みはない、と。

ゼミ活動が日常の一部でしかなかった彼女。でもコロナをきっかけに、自分で考えたことをみんなで実行するゼミは大きな成長の舞台になったのです。 

何かをきっかけに必死に考え、とことん語り合い、そこで何かが生まれたときに達成されること。学びは誰にでも、どんな条件によっても起こりうるものなのでしょう。 

いま、世の中はますます混迷を深めていますが、一人ひとりが自分にできることに向き合っていくことしかできません。でもそこには、必ず学びがあるはず。 

この春、社会に出る学生のみなさんも、いま社会に生きる私たちも、学びの主体であり、未来をつくる担い手のひとりであることに変わりません。 

だからそう、みんなで”共に”頑張りましょう!たまには、息抜きもしながら。 

 

 

ブログランキング・にほんブログ村へ気に入ってもらたえら応援お願いします!