今日の材料:ブログライフ、繋がり、関係性の変化、自分らしさ
久々にブログ活動を再開し、みなさまのブログもお散歩させていただいています。ブログライフを満喫することが出来て、すごく幸せです。
そして改めて、自分にとっての「繋がり」とはどういうことなのかを考える良い機会になっています。
ブログの世界では、自分の興味関心に本当に素直になれるように思えます。【人間関係の広がりは、ネット(網の目)からノット(結び目)へ 】で書きましたが、今の私は「広く浅く」でも「狭く深く」でもない、純粋な興味や共通性で繋がることが出来るノットな関係性に心からの納得があるのです。
でも日常を生きていると、思いもよらない出来事で負のスパイラルに陥ってしまうことがあります。人と人との関係性は、自分だけで考えたようにコントロールできるほど単純なものではないですよね。
無意識に相手に期待したりそれを裏切られたり、そこで心が乱れて自分を見失ってしまったり、関係性の構築や自分らしさの追求は、日々の思いもよらない出来事であっさりと揺さぶられます。
ブログから少し離れていて良くわかりました。日々刻々と変わる生活の中で、自分が一体何に揺さぶられているのか、そして自分にとって一番大事なことは何なのか。ブログを読んだり書いたりすることで、そういう自分の心の声にきちんと耳を傾けることが出来るのです。
「繋がり」とはちょっと逆説的な話になりますが、意見の相違があるとき、よく「人と意見を切り離す」べきと言われますよね。
私自身も【創造性は意外性から始まる―異なる視点を受け入れてみよう】で書いたように、異なる意見を受け入れることは人生を豊かにしてくれます。でも批判や反論に出会うとつい、私たちは悪い方に判断してしまいます。記事では、その判断を一旦横に置く、留保してみようとも書きました。
判断の留保は、「人と意見を切り離す」ことの第一歩です。
でも 実はこの考え方、意見の相違よりむしろ、一致する場合により意識することが大事なのでは、と最近思うようになりました。
共感できると思った相手ほど、なぜ、どこが、どのように共感できるのか、感情的にならずにじっくり考えることが必要ではないか、と。
感情がもたらす「悪」の判断以上に、「善」の判断の方が関係性の構築に影響を与えることがあるからです。
近すぎる関係性の弊害、適度な距離を保つことの大切さは、良好な人間関係を作る上で頻繁に問われることです。共感できる相手に思った以上に依存してしまい、逆に関係性を悪化させてしまうことは、近しい付き合いの中で頻繁に起こりますよね。
いわゆる「ママ友」関係などでよく語られることですが、「ママ友」に限らず愛憎が表裏一体となることは多く、相手に対する想い入れが大きいほどその反動による感情のもつれ、関係性の悪化は手が付けられなくなってしまいます。
「人と意見を切り分ける」ということは、むしろ共感できる相手にこそ意識した方が、良い関係性の構築や自分らしさの追求につながっていくのかもしれません。
とはいいながらも、関係性に敏感な人ほどそれが上手くいかないことは良くあります。私自身、余計なことを考えすぎて書くことの手が止まってしまうこともしばしばです。
そんな時、純粋に自分の興味関心に向き合えるブログに集中することで、迷子になってしまった自分をちゃんと元いた道に戻すことが出来るような気がします。
ブログの更新が遅い私でも、そう思えるのです。だからブレずに歩き続けているブログ仲間のみなさんは、もっともっとこの「繋がり」をご自身の人生に生かされているんだろうな、と感じています。