「働く」と「生きる」を楽しむためのレシピ

「人生100年」と言われるようになり、生涯現役がもはや当たり前の時代に突入。一人ひとりが「自分らしさ」を見つけ、ワークライフを楽しむためのヒントについて考えていきます。

「自分らしさ」や「自分探し」という言葉が嫌われる理由

今日の材料:自分らしさ、自分探し、本当の自分、問い、気付き

このブログの中で「自分らしさ」や「自分探し」は重要なカテゴリーであり、中心となるテーマです。でもネット上でいろいろ見ていると、嫌われることも多々ある言葉です。

日々の生活の中で我慢し、押し込めている「本当の自分」を見つけよう、という考え方に違和感を感じる―「本当の自分」って何?そもそもそんなもの自分でわかるはずないし、わかる必要があるの?と感じられることがその理由の中心にあるようです。

ごもっともだと思います。

「本当の自分」というある種の決定論的な答えが「自分らしさ」であり、その答えを見つけることが「自分探し」ととらえるなら、私もおそらく馴染めないでしょう。

私は以前、「”私が誰か”は私だけでは決められない」という記事の中で、こんなことを書きました。

「自分探し」は、

自分の心の中を必死に覗こうとすることではなく、他の人との関わりの中で自分が何を感じ、どう行動してきたかを見つめ直すこと

そして

 

自分のストーリーは常に進行中 

ということも。

そこに、「本当の自分」というゆるぎない答えはないと思っています。

今ある関係性の中で自分自身を振り返ること―そこでの発見がこれからほんの少しでも生きやすくなるヒントとなるなら、そこにこそ大きな意義があると感じています。

 

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私が長く付き合っているある友達が、「自分がないのが自分らしい」と言っていたことがありました。

彼女は今、若い頃に思い描いていた姿とは違う人生を生きていると感じています。新たな家族と年を重ねて過ごしてきた中で、新たな関係性と価値観を受け入れているのです。

人によっては「本当に幸せなの?」と感じる人もいるかもしれない―でもいろいろ悩んだ過程を経て今の彼女は清々しく、それが自分らしいと言っています。

またネット記事で読んだある人は、一度自分や周りが「自分らしさ」を定義してしまったばかりに、そうでない自分を許せなくなってしまったと語っています。

そしてそのことに気付き、今の自分にとって大切なことは何かをもう一度考え直した時、初めてその「自分らしさ」に苦しめられていたことに気付いたそうです。

どちらも考え抜いた末に今の道を選んだ軌跡はやはり「自分探し」であったけど、そこに特定の道筋はなかったのではないでしょうか。

問いを続けることが「自分探し」であり、そこで見つかる小さな気付きの積み重ねが「自分らしさ」だと考えることで、これまでとは違う光が当たると私は思っています。

そう願い、私は自分自身への問いと気付きをこのブログを書いてきました。

もしご興味があれば、ぜひこのブログのカテゴリ―の「自分探し」や「自分らしさ」をのぞいていただければ幸いです。 

ただこういう言葉を嫌うという人は、それだけ自分に向き合ってきた人だと私は思うのです。

そういう人たちのストーリーと、そこでの「問い」や「気付き」の中にもまた、大切な発見がたくさんあると思います。

 

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