今日の材料:対話、対話力、関係性の構築
前回の記事で、人間関係の常識としての「必ず分かり合えなければならない」ということを、問い直す必要があると書きました。
むしろ「そもそも分かり合えない」ことを前提とした方が、よほど現実的のような気がします。
では対話とは、何なのでしょう。
「対話が大事だ」ということは最近では頻繁に耳にするようになりました。効果的な対話の方法や対話力を高めるスキルなど、「分かり合うこと」を指南する情報があちこちに溢れています。
もし「分かり合う」ことが目的なら、分かり合えなければ対話は失敗、また相手にわかってもらえなければ、対話力が低いということになります。
本当にそうでしょうか。
この記事でも書きましたが、都度の結果は通過点でしかありません。それと同じように対話をする上で「分かり合える」かどうかは、一つの通過点でしかないと私には思えるのです。
対話は単なる方法ではなく、参加する人たちの納得や、互いの信頼関係を反映するプロセスだからです。
もし対話力というものがあるのなら、それはその場に参加する一人ひとりが自分自身にしっかり向き合い、互いに本音を話せる信頼関係だといえるでしょう。
それは個人ではなく、関係性の力です。
個人のスキルや能力だけでは説明できない、人間関係の在り方そのものなのです。
だからこそ、どんなに真摯な態度で話してたり聞いたりしても、変えられないことだっていくらでもあります。
「それなら初めから対話なんてしない方がいい」と思いますか。
いえ、この関係性を構築するのも、やはり対話なのです。
一人ひとりが都度の結果に惑わされず、自分自身とその関係性に向き合って対話を重ねていくこと-それを時間をかけて辛抱強く続けていくことで初めて、この関係性の土壌を築くことができるのではないでしょうか。
「分かり合うこと」ではなく、継続することそのものに意義を見出すだけでも、対話への意味づけは大きく変わってくるはずです。
そして先ほどの記事では、このようにも書きました。
コツコツと継続し、そのプロセスで自分に起きた変化にも向き合えば、例え最初のゴールとは違っても、納得のいく成果となるはず、と。
どんなに対話を重ねても、関係性を築けない、もしくは変えられない時は、諦めてもいいし、逃げてもいいと私は思います。
でも、対話を続けたことが思わぬ別の関係性を築くこともある。
それもまた対話の力であり、人生の不思議です。