「働く」と「生きる」を楽しむためのレシピ

「人生100年」と言われるようになり、生涯現役がもはや当たり前の時代に突入。一人ひとりが「自分らしさ」を見つけ、ワーク&ライフを楽しむためのヒントについて考えていきます。

新たな学びを生むために、一人ひとりが出来ること

今日の材料:学校教育、意識転換、対話、発信する勇気

前回、【未来型人材育成―「何を教わるか」ではなく「いかに学ぶか」を考える― 】というタイトルで学校教育をテーマに記事を書いたのですが、それに対してTAKAさん【id:virtue000000】から以下のようなコメントを頂きました。

 

答えを出す→何→受動的/問いを組み立てる→いかに→能動的
という認識ならば、これからの学校教育は問題提起の力を養う場であるべきということになります。それを踏まえて質問なのですが、その様な学びはどの様なもので、どの様に学校教育に取り入れるべきだとkiki_shさんはお考えなのですか?

 

とても興味深い内容なので、今回はそのことを考えてみようと思います。

まず始めに明確にしたいことは、「どういう学びをどう学校に取り入れるか」ということに関しても、どのような文脈にも当てはまる「答え」はない、ということです。

このブログで常々書いてきていることですが学校教育に関しても同じで、どこかにある「答え」を探すのではなく、一人ひとりが目の前で起こっていることに真摯に向き合い、みんなでその「答え」を創っていくという意識を持つことから始めていく必要があると思います。

「答え」ありきで考えることを止めると、必然的に「問い」の方に目が向きます。そして「問い」に目を向けるということは、「相手に理解させよう」という意識を「相手を理解しよう」という意識に変換しようとするものではないかと思います。

前回、「教員もまたいかに学びのプロセスに関わるかを「学ぶ」ことが必要」と書きましたが、こういう意識を持っている先生方はおそらく生徒の話を聴こうとしたり、生徒のことを知ろうとしたりする姿勢を持っているのではないでしょうか。

自分の経験から例を一つ挙げてみましょう。私は予備校で英語を教えていたのですが、英語が苦手な生徒には本当に基礎の基礎から教える必要がありました。それこそ、「助動詞の後ろは動詞の原形になるんだよ」というところからです。

そこである生徒が言ったのです。「助動詞って何ですか」と。

ある先生は呆れかえっていましたが、ある先生はその生徒がこれまでどのように英語を勉強してきたか、ということに興味を持っていろいろ話を聴きました。すると、その生徒は高校で英語の試験問題を教員が全て事前に教えていた、ということを聞かされたそうです。普通に考えれば信じられない話ですが、実際にそういう学校も存在するのです。

「答え」ありきもここまでくると笑い話にもなりません。ただ、そこから対話を続けて行く中で、その生徒はかなり時間がかかったものの、最終的には難しい文法もしっかりと理解できるほどの英語力をつけたことを私自身が目の当たりにしました。

このストーリーを「対話」という”方法”と「成績が上がった」という”結果”だけ結び付けて考えるとしたら、「そんなにうまくいくはずがない」ということになるでしょう。

でも、これもこれまでのブログで書いて来ましたが、一人ひとりの変化や成長の道筋は、その個人の物語の中でしか説明できず、単純な因果関係ではないのです。だからこそ、学校教育においても様々な人が関わり、そのプロセスで関わる人自身もまた自己を顧みながら根強く対話を続けて行く必要があると思うのです。

 

 

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学習指導要領で「何を教えるか」ということを明確にしていますが、そのこと自体は否定すべきことではないと思います。

全く知識がない子供たちに突然「問いを立てなさい」というのはまず不可能です。識者たちが考え抜いた学習目標を教育の指針とすることは、決して無駄なことではないですし、行動する上での最初の目標になるでしょう。

ただ【未来へ向かう行動の目標は、変化してもいい】という記事でも書いた通り、目標はあくまでも行動のきっかけにすぎません。教育の現場を生きている教員には何がベストかを見極めるためにより裁量が与えられるべきだと思いますし、その一方で教員としての在り方を常に振り返る場が必要だと思います。

もう何十年も前になりますが、私が非常勤で学校教員をしていた時の教育現場はあまりにも閉鎖的で、他の先生が何をどう教えているかを共有する機会はほとんどありませんでした。今はもっと改善されているのかもしれませんが、教員同士の対話の場を作るということは仕組みとして作るべきだと思います。

その一方で、学校という現場にはいろいろな闇があることもまだ現実でしょう。学級崩壊ということが叫ばれるようになって久しいですし、各種の圧力が加わることでモチベーションが下がってしまう先生も多くいることは察して余りあります。そういう中で何がベストか、となると、私のように現場を知らない人間が気軽に話せるようなことではないということは承知しています。

こういった状況を少しでも改善するためにも、教育行政という場でこそもっと対話の場を意識的に作っていくべきだと思います。特にそういう場では境界をなくし、親や地域を巻き込んで、「答え」を出すのではなく長期的に対話を続けて行くことを目的とすることを考えるべきだと思います。

どこかに対して一方的に苦情を言うのではなく、一人ひとりが主体性を持って学校教育に関わっていく姿勢を見せることこそ、将来的に子供たちが「問いを立てる」ことに価値を置けるようになるための最大のきっかけになるのではないでしょうか。

学校教育とは関係ないのですが、実は私自身が今、消費者としてトラブルの渦中におりまして、そうはいってももう巻き込まれたくないと思うほどストレスフルな経験をしております。

こう書いてはみたものの、もはや逃げ出したくなるほどの日々の苦労を抱えている学校教育の混沌とした現場を想像すると、非常に苦しい気持ちになります。それでもやはり、考えることを止めてはいけないように思えます。

発信する勇気を持ち、一人でも二人でも仲間を見つけ、小さなことからでも変えて行く努力を一人ひとりがしていくことが、きっと何かを生み出すと信じています。

 

 

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未来型人材育成―「何を教わるか」ではなく「いかに学ぶか」を考える―

今日の材料:学校教育、学びの創造、社会生活、いかに学ぶか

 

40代半ばの私の子供時代、日本経済はまだまだ活発で、高校生になる頃まではいわゆるバブル景気真っ只中でした。大量生産、大量消費経済の中で、物事の標準化や均質化にこそ価値が見出されていた時代です。今思えば、教育カリキュラムもいかに標準的、均質的な知識を身に付けられるかに重きが置かれていたように思えます。

それは学ぶ側の視点ではなく、教える側の視点ともいえるでしょう。子供たち一人ひとりに「何を学んでもらいたいか」より、先生が「何を教えるべきか」の方が明らかに先行しました。だからこそ「何のために勉強をするの?」は、子供の「質問あるある」だったように思えます。

そして、この状況は今も根本的には変わっていないと思います。

確かに、教育カリキュラムの内容は少しずつ変わってきました。私たちの頃にはなかった生活科の新設、さらには自分で学び考える「生きる力」を育むといった文言が、学習指導要領で表現されていることは良く知られています。

でも結局、学校が「知識を伝達する場である」という枠組みはあまり変わっていないように思えます。取捨選択を考えなければ「知識」はネットでいくらでも手に入るこの時代、今こそ学校という場が持つ価値をより深く問うべきと感じます。

最近よく、「協同学習」や「学び合い」という言葉を耳にします。そこでは、知識は一方的に伝達されるものではなく、グループでの課題達成といった実践的な関わりの中で創造的に学ばれると考えられています。

学びの創造性は、学校教育の価値になりうると思います。

ただこうした教育の在り方は、教員の関わり方によって大きな批判の対象となることもあります。その批判の中心にあるのは、「学び」を生徒任せにするという放置の姿勢です。「学び合い」や「協同学習」というなら、教員もまたいかに学びのプロセスに関わるかを「学ぶ」ことが必要です。

ちなみにこうした活動は「アクティブ・ラーニング」とも表現されますが、「アクティブ」となるのは多くの場合生徒であると理解されています。学校を「学びを創造する場」へと変革するなら、教員こそ自らどう関わるべきかを「アクティブ」に学ぶ主体であるはずです。

さらに言うなら、学校だけでなく家庭や地域社会もまた「アクティブ」な学びの主体であるはずです。子供たちの学びのプロセスをいかに創造していくか、そのためにそれぞれがいかに関わり合っていくのか、常に問いを立てて考え続けて行く必要があると思います。

教育の現場ではさまざまな取り組みが試されてはいるものの、こうした関わり合いがうまく機能せずにまだまだ混沌としています。

でも、そのモヤモヤは必要なものだと私は思います。【「そもそも」論・再考】や【「自分らしさ」や「自分探し」という言葉が嫌われる理由 】という記事でも書いているように、「答え」を探すことより考え続けることにこそ意味があるからです。

親として、もしくは今後、学校や地域の中でも何か役割を得ることもあれば、それぞれの立場から「アクティブ」に学び、取り組んでいきたいと思っています。

 

 

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「何を教わるか」より「いかに学ぶか」を考えることは、子供たちが社会に出てからその結果がより顕著に表れるように思えます。

「働く」と「生きる」を思考する私の指南役かつパートナーでもあるI社【☆参照】で先ごろ対話インタビューをしていた時、入社5年目のNさんがこんなお話をしてくださいました。

彼は入社して2年目をピークに、入社説明会で聞いて想像していた仕事とあまりに違うことで、会社を辞めたいとすら思うようになりました。先輩や仲間と日々の対話を通して物事を解決したり改善したり出来ると期待していたのに、自分じゃなくても出来る仕事を日々こなさなければならなかったからです。このまま何十年と働き続ける自分を想像することが出来ませんでした。

悶々としながらも仕事を続けて3年目となり、これまでやってきた工程とは違うある種の「結果が見える」仕事をしていた時、ふと自分の会社が作っている製品に興味を持ち始めました。製品のことを知りたいという気持ちは、自分がその仕事の中で何が出来るかを考える、というところにもつながっていきました。

3年目のその仕事は最初の仕事に比べ、社内で他の部署の人たちとも交流がある仕事でした。彼はその後さらに異動によって今度はお客様とも関わる仕事に携わるようになり、現在は新たなやりがいと課題にも直面しています。でもその多様な関わりの中で、彼は自分がI社の中ですべきこととしっかりと向き合えるようになっていました。

Nさんはこんな風に話しています。

 

最初の3年っていうのは、自分で考えてうちに秘めて、口に出さないだけの時間がただ過ぎていって、それを周りのせいにしていた。最近は思ったことを相談したり口に出したりすることで、周りの人の意見も聞けるようになってきた。自分で思うことを意見しないと周りの意見も聞けないし、自分の考えが間違っているのかあっているのかもわからない。

振り返ったり、周りの意見から自分が学ぶことも多くあるし、自分の中の小さい器ではだめなんだな、と。いろんな角度の意見を聞くことで、自分がやるべきこと、やらなければならないことも見えてくると今は思う。

 

新卒の社員が入社後の一定期間で会社を辞めてしまうという問題は、いろいろな場で耳にします。その理由は様々だとは思うのですが、「いかに学ぶか」に関する経験の少なさが大きく影響しているように思えます。

もちろん、いわゆるブラック企業のような会社で心と体を壊してまで会社を続けるべきではありません。「自分を守る」ということは、働く上で最も重要な判断基準です。ただそれとは違う状況では、「いかに学ぶか」という経験が大きく影響するように思えます。

学校教育の中で「何を教わるか」を重視しすぎると、学ぶ側はやり方さえ知れば必ず「正解」がどこかにあると思うようになります。でもNさんのように、日々のモヤモヤを越えてふと振り返ったときに見つかる「学び」はどこかにあるものではなく、自分の試行錯誤や周りとの関わりの中で自分自身が作り出すものです。

当然その方法は事前に想定できるものではなく、I社での勤務経験を通してNさんが自分に向き合い続けたことで得られたものでしょう。

I社という会社は、こうした学びを社員任せにすることなく関わり続ける会社です。部署の上司にとどまらずさまざまな人が彼の成長を見守り、真剣に議論をするのです。上司として自分たちがいかに関わるかもまた、常に問い直します。一人ひとりの成長こそが会社の成長であるいう信念があるからこそ、互いの学びと対話を続けて行くことを重視することが出来るのだと思います。

自分が、もしくは部下が「いかに学ぶか」を考えたり介入するということは、会社の規模に関係なく一人ひとりが自分の立場で出来ることです。会社そのものの変革にはもちろんたくさんの要因が絡んできますが、個人としてはどんな経験からも「学ぶ」ことは必ずあります

学校教育の中でもその後の社会生活でも、「いかに学ぶか」を問い続け、学びの創造性を広げていくことが、一人ひとりの「働く」と「生きる」を豊かにする未来につながっていくと私は思っています。

 そんなことを考えながらも 、新学期に入ってまた登園をしぶる息子と一緒に私も「学ぶ」ことばかりの毎日です・笑。

 

 

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一人ひとりの主体性が、持続可能な社会を作る

今日の材料:持続可能な社会、主体性、責任の所在、小さな成功

 

「持続可能な(sustainable) 」という言葉をよく耳にします。

私が初めてこの言葉を聞いたのは15年くらい前と記憶しています。当時在籍していた大学院の授業で、「持続可能な開発のための教育(ESD: Education for Sustainable Development)をテーマに学んだことがありました。それ以降、いろいろな場で出逢うこの「持続可能な」という言葉がとても気になるようになりました。

実際に国連や関連機関からこの言葉が発信されたのはもっとずっと前なのですが、社会の中で関心を集め、より意味のある言葉として定着してからはそれほど長くないのではないかと感じるのです。

言葉というのは生き物です。太古の昔から人々の生活とは無縁に存在するわけではなく、ある社会環境の中で生み出され、人々に使われることによってその意味を確立していきます。

この「持続可能な」も、このままでは持続できなくなるという危機感が本当に高まってからこそ、頻繁に使われその意味を確立してきた言葉です。この危機感は環境保全問題に端を発し、貧困、人権、平和、開発といった広い視野に立って現在と将来のニーズを考える必要性を訴えるものです。

以前【未来へ向かう行動の目標は、変化してもいい 】という記事の中で、アフガニスタンで殺害されてしまった中村哲医師のことを書きました。彼の支援活動はまさに貧困からの救いと平和への希求が混在するこの地域で、人々の生活を持続可能とする基盤を開発するためのものでした。

中村医師のような行動は、誰もが真似できることではありません。でも私は、「どんなに不確実な状況であっても行動することに必ず意味がある」と言いたくてこの記事を書きました。それ自体は、決して特別なことではないはずです。

むしろ私たちが考えるべきなのは、自分自身の身近な環境をいかに持続可能とするかです。今の世の中、日々の生活の中で「今後どうなってしまうのか」という不安が全くない人は恐らくいないでしょう。その一方で、その問題に向き合い、行動することが出来る人もまた多くはないように思えます。

一人ひとりが身近な環境を変えて行くために主体的に行動することが、社会全体の持続を可能とする未来につながると私は思っています。

 

 

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私たちが持っているそれぞれに異なる経験や知識は、今後も安定した生活を持続していくためにとても重要なものだと思います。一人ひとりが主体的に行動し、その経験や知識を十分に生かすことが出来れば、社会を持続可能とするたくさんの知恵が生まれてくると思うのです。

でもこの主体的な行動は、いろいろな理由によって阻害されてしまいます。例えばその一つに、特に日本社会に顕著な責任の所在を追求しようとする傾向があるような気がします。

一つ例を挙げてみましょう。

人間関係の広がりは、ネット(網の目)からノット(結び目)へ】という記事でも紹介した【山住勝広・ユーリア・エンゲストローム編の『ノットワークする活動理論: チームから結び目へ』(新曜社)】(p.41-43)に興味深いエピソードが書かれていました。

それはフィンランドの保健センターのある医者が担当する偏執病(※パラノイアとも言われる妄想性パーソナリティ障害の一種で、不安や恐怖の強い影響を受けるもの)の患者が自宅のドアを開けずに叫んでいた時の、関係者の一連の対処に関するものでした。

関わったのはその担当医の他に患者の後見人、隣人、在宅介護の看護師、地域病院の精神科医、警察官、救急隊員、アパートの管理者でした。そこで、それぞれが持っている情報(例えば後見人が知る患者の生活状況や、担当医が知る健康状態、精神科医が持っている精神病治療に関する知識など)を問題状況の解消のために共有し、最終的に救急隊員や警察が介入して強制的に入院させ治療を受けさせることに成功したというものでした。

普通に読めば、「ふーん、それで?」と思うかもしれませんが、想像してみてください。あなたの身の回りで同じようなことが起こったとき、あなたはどう考えますか。

恐らく私だったら「誰が決定を下すのか」、もっと言えば「誰がその責任を取るのか」ということを考えてしまうと思います。そしてそういう考え方が、自分の主体的な行動を抑制してしまうような気がするのです。

このケースでは、発作を起こしているであろう患者の身の安全と同時に、人権の問題も絡んできます。例えば自分が担当医であった場合、健康状態に問題はなくても精神状態から危険な状況になる場合を考えるでしょう。かといって、個人の生活空間に許可なく立ち入ったり、強制的に入院させるということが法的に問題になる可能性もあるのです。

さまざまな判断基準を複数の人が持っている時、それを総合的に判断できる権限者とは一体誰なのか、その責任の所在が明らかにならずに対応が遅れることは、私たちの日常的な経験からも決して珍しいことではありません

でも、ここで書かれているケースでは意思決定は分散されており、それぞれが自分の立場から主体的に考え、問題状況を解消するという目的を共有して役割を遂行したことで、最終的に適切な対応が出来ました。ここで一人でも、「自分が責任を取りたくないから黙っていよう」という人がいたなら、このプロセスは成立しないのです。

ここまで考えてみて、さらに思うことがあります。

それは、今のような持続可能性が危ぶまれる社会になったのは、このケースのように一人ひとりが主体性を持つことなく、十分な知識や情報を持たぬままに権限を与えられた特定の個人の判断によって、重要な決定が重ねられてきた結果ではないのでしょうか。

そして現在も少子高齢化によって持続可能性が危ぶまれ、さまざまな問題が浮き彫りにされているにもかかわらず、やはりこの「権限を与えられているだけの人間」の判断という状況は変わっていないのではないでしょうか。

その結果、日本の未来はますます混迷を極めています。

一人ひとりが出来ることは確かに小さいかもしれません。でもこの保健センターのケースのように、小さな成功を積み重ねることで、大きな社会を変えて行くことは決して不可能ではないと思います。

まずは声をあげてみるということ、そして身近な問題に対して主体的に関わっていくということを、もっともっと意識していきたいと思っています。

さて、今回が私にとって今年最初の記事となります。私が身近に持続を意識すべきは何よりこのブログです。

本年もどうぞよろしくお願いいたします。


 

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今後の自分に向けて、今月を振り返る

今日の材料:書くこと、今後の自分、来年の抱負、想像力

12月に入ったと思ったらあっという間にもう年末。書く力を付けたいと始めたブログなのに更新が全然出来ていません。

自分の時間管理能力を反省するしかないのですが、その一方で12月は「今後の自分」を見据えるための良い機会がいろいろあったような気がします。

少し前に【書くことへの信念は、もう揺るがない 】という記事を書きましたが、私は今後の活動をこれまで以上に「書くこと」を軸に展開していくつもりです。そしてそこには研究と実践という境界を作らず、自分だからこそ書けることを追求していきたいと思っています。

そこで今日は最近の出来事がこの「書くこと」にどうつながっていくのかを書くことで、来年の抱負にしたいと思います。今回の記事は完全に自分の忘備録とさせて頂きます・笑。

 

 

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1.何を書くか

多くの人が変わるには、多様なきっかけが必要だ 】という記事で少しだけ紹介したのですが、私には「働く」と「生きる」を考える上での指南役ともいえる存在の会社があります。

今、一緒にお仕事もさせて頂いているのもこの会社です。日々考え抜いている社長や社員の方々との対話は本当に刺激があり、いくらでも深堀り出来るものです。ブログでこれまで書き綴ってきたさまざまなことは、この組織の日常を通してより具体的な風景として描くことが出来ると思っています。

もともと私が書く力をつけたいと強く思うようになったのも、この会社のこれまでの軌跡やこれからの戦略と開発のプロセスをより多くの人に伝わる文章にしたかったからです。ストーリー化の作業自体はずっと続けてきましたが、今後はより広く読まれる場に出していきたいと思っています。

12月中に会社訪問した際、その決意宣言を社長にもしてきました。

これからのブログでも登場する頻度が上ってくるかもしれません。今年1年の蓄積を花開かせることが、来年の目標です。

 

2.どう書くか

「境界を作らない」と書いたものの、この「どう」は主に研究論文にかかってきます。【「物語」の力をさらに問う―多様性を創造力にするために― 】でも書いたように、私は(客観性を基礎とする)論理性を唯一の判断基準とする論文を書くことがどうしても出来ませんでした。

でも、より多様な研究の在り方を追求する研究者もいます。大学教授であるK先生は、私が「どう研究するか」を考える上でとても大きな示唆を与えてくれました。その先生は「研究者」としての私の指南役であり、今年はいろいろな場でお手伝いさせて頂くことで、今後の私の方向を導いてくれたように思えます。

そしてK先生が主催者の一人である12月のある研究会で、新たな出会いがありました。同じく大学教授であるY先生ですが、理論研究者が多い中で現実の追求にこだわり、方法よりも目の前にある現実をどう表現するかを重視する方でした。その考え方には大きく共感するものがあり、K先生と同じくらい私の研究人生に重要な出会いになるような気がしています。

Y先生は私の記事も読んでくださり「私が普段考えていることと相通じるところが多々あり、大変うれしく思いました」と言ってくださいました。上述した【書くことへの信念は、もう揺るがない 】という記事なのですが、ここで私は『「研究」とは何かということも関係性の中で揺れ動くと書きました。その視点からも、この出会いには大きな意味があるような気がします。

来年改めて論文執筆に挑戦する上で、この出会いを力に変えたいと思っています。

 

3.誰が書くか

当たり前のことですが、書くのは私です。でも私は以前【「私が誰か」は自分だけでは決められない  】という記事で、『「私が誰か」ということは相手との関係性の中で初めて決まるもの』と書きました。

他の誰でもない自分自身を取り巻く関係性の中で、私は生きています。だから自分が書くものも、どうしても自分自身の視点からは逃れられません。でも私はこれまでの人生の中でいろいろな人と出逢ってきました。さまざまな人生のストーリーに触れる中で、少しずつ想像するということが出来るようになりました。

そして今の私にとって最も想像力を要するのが、子育てです。【答えは簡単に見つからない方がいい 】という記事で書きましたが、6歳の息子の子育ては日々が試行錯誤の連続です。息子を取り巻く環境も自分の日常を意識する大切な瞬間ですが、自分自身の活動がどうしても思考力を要するものなので、24時間子供のことを考えることが出来ないことに日々罪悪感も感じています。

時間的にも制約があり、幼稚園を離れた場で友達と遊ばせることもこれまで数えるほどしか出来ていませんでした。それでもこの12月に初めてお友達を家に呼んだり、公園で遊ぶ約束をしてママ仲間ともいろいろ話をしました。そして改めて、日々の葛藤や子供を取り巻く関係性の中にいることもまた私であり、だからこそ書ける文章があると思うようになりました。

力が足りずまだまだ伝わりにくい文章ではありますが、私が書きたいことは誰もが経験している日常をより深く理解するきっかけになるものです。自分がこうした日常の中にいるからこそ、さまざまな読み手を想像する力がついてくるのではないかと思うのです。

自分の日常ともしっかり向き合いながら、これからも書き続けていきたいと思います。

今回はみなさんに読んでもらう記事としての価値はあまりなかったかもしれませんが、最後までお読み頂きありがとうございました。

12月は日々の雑事だけでなく体調も崩し、自分のブログ更新どころかみなさんのブログをお伺いすることもあまり出来なかったのですが、改めてみなさんの文章を読んで元気と刺激をもらいました。

来年はもう少し頑張って、ブログを活性化させたいと思います。

 

 

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未来へ向かう行動の目標は、変化してもいい

今日の材料:未来、行動の目標、不確実な状況、中村哲医師の活動、変化

ブログを始めて半年経ちましたのでふと振り返ってみました。(記事数を見ると「とほほ」ですはありますが)

老後「2000万円」問題に取り組む前に、まずは自分探しから】というタイトルで書いたのが最初の記事でした。当初は長い記事ではなくサラっと書いてたんだな、と改めて思い返しています。

金融庁の「老後は2000万円必要」という発表が大きく問題視されるのを見て、真っ先に記事に書いたようなことが思い浮かんだことを覚えています。誰が何と言おうと所詮は不確実な未来、にもかかわらずどうしてここまで私たちの心をこんなにもとらえるのだろう、と。

この問題が私たちに提示したことの一つは、見えない不安が良い意味でも悪い意味でも私たちを突き動かすパワーを持っていることだったように思えます。

だからこそ、最初のこの記事で一番言いたかったことは、

まだきちんと向き合えていない大切な問題についてしっかり考え、大切な人と建前でなく本音を話して、理解し合い、納得し合うことが、何より見えない未来への備えとなりませんか。

未来は単独で存在するのではなく、必ず今とつながっています。

ということでした。

未来は今とつながっている―まずそのことをしっかりと心に留めた上で、今自分がすべきことから始めてみよう、ということ。自分と読んでくれる人にとってそのきっかけの一つになればと思い、ブログに想いが綴ってきました。振り返れば、これが最初の記事でよかったのかもしれません。

でもこう書いていながら私自身、毎日に流されてどこへ向かっているのかわからなくなることは多々あります。こうして信念を持って文章を書いているつもりでも、やっぱりこの先に何があるのかわからない不安を持っています。

「老後2000万円」はその計算方法こそかなり大雑把でしたが、具体的な数字であったことも私たちの注目を集めた大きな原因であったように思えます。目標が具体的であれば、それに向かう行動だって決めやすいものです。

実際に、この問題が今すべき資産形成の方法を見直そうという議論を多少なりとも引き起こしました。(これがそもそもの目的だったのでしょうが)

「行動する」ということは、何かしら目標があるから出来ることです。でも不確実な未来に向かう行動の目標は、当然明確なものではありません。明確でない目標に向かって行動するのは、目的地の見えない森の中を歩いているような不安を呼び起こすように思えます。

 

 

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でも、どんなに不確実な状況でも行動を起こす人はいます。

私は今、先日アフガニスタンで銃撃され命を奪われてしまった中村哲医師のことを思い浮かべました。連日の報道で広く知られているように、中村医師はパキスタンアフガニスタン地域に医師として赴任しましたが、医療活動だけでは人々を救うことは出来ないと考え、灌漑活動にも携わり人道支援を長く続けてきました。

中村医師は、自分が診察していた病院の待合室で子供が亡くなっていくのを何度も目の当たりにする中で、その背景にある食糧不足や栄養失調を実感したそうです。医者として患者を診ること以前にすべきことがあると感じ、現住民が自分たちでもできる方法を考えて灌漑や農業を実践できるように支援してきたそうです。

常に目の前にある問題に取り組みながらも、将来的に人々が自分たちの足で立てるようにする―その在り方は、当初思い描いていた医師として人を救う活動する中でさまざまな偶然と出逢い、今すべきこととして導き出されたことだったのでしょう。

中村医師が紛争の絶えない地域で、ご家族からも「覚悟はしていたが起こらないで欲しかった」と言われるほどの過酷な活動を続けてきたことは、とても真似できることではありません。ただ、だからこそ私たちが身近なこととしてでも学べることがあるとするなら、どんなに不確実な状況であったとしても行動をすることには必ず意味がある、ということではないでしょうか。

そしてその意味は、一つひとつの出逢いに真摯に向き合うこと、対峙している人や状況に対して考え抜くことで、少しずつ見えてくることだと思うのです。誰でも、どんな状況でも目標を作ることは出来るはず。まずはそれに向かって行動しながら、本当に目指していることは何なのかを考え続けることが必要なんだと思います。

中村医師は死と向き合うような場に赴きつつも、自宅に戻ると家族とゆっくり過ごす普通の人だったという記事も読みました。ご本人は、周りが思っているほどの偉業を成し遂げたという感覚はなかったのかもしれません。実際に日々の活動は本当に地道なものであり、常に注目を浴びていたわけではなかったと思います。

いろいろな記事を読むたびに、私は本当に人を動かすのは他者の評価ではなく自分の信念だ、と強く感じさせられます。

未来へ向かう行動の目標は、変化してもいい。でもそれをやることには必ず意味がある

中村医師のご冥福をお祈りするとともに、そのことを心に刻んで日々過ごしていきたいと思います。

 

 

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書くことへの信念は、もう揺るがない

今日の材料:フィードバック、フィードフォワード、研究の価値、ブログの価値

前回の記事【「物語」の力をさらに問う―多様性を創造力にするために― 】には、たくさんのコメント&ブクマコメントを頂き、本当にありがとうございました。

私はブログ執筆を通してもっともっと書く力をつけたいと強く思っているので、頂いたコメント一つひとつが本当に宝です。

書く力は書くことでしか身に付きません。みなさんから頂くコメントは私が書いたことがどのように伝わっているのかを教えてくれる、この上なく貴重なフィードバックなのです。

そういえば、最近は「フィードバック」ではなく「フィードフォワード」という言葉が使われているようですが、ご存じですか。

ざっくり説明すると、(あえて対比した場合)「フィードバック」は過去志向で私見の色彩が強く、問題や欠点の指摘が中心。それに対して「フィードフォワード」は未来志向で広い視野からの意見であり、解決への展望が臨めるものだそうです。

 

biz.trans-suite.jp

 

back (後方)から forward (前方)へ―言葉のあやからこれまでの伝え方を見直そう、という試みは理解できるのですが、私個人としてはどうしてもこういうノウハウ的な説明には疑問を感じてしまいます。

上の記事では上司と部下の関係性を基準に描かれているのですが、上司は「前向きなアドバイス」のつもりでも、部下からしたら「後ろ向きな指摘」と受け止められることが多々ありますから。

結局、関係性によって同じ内容でも前向きにも後ろ向きにもなりうるのです。いくら内容的に「フィードフォワード」を意識しても、伝わらなければ意味はありません。上司は伝える内容だけでなく、部下との関係性、そこでの自分自身の在り方も問い直す必要があるのではないでしょうか。

そして伝えられる部下側もまた、ただ受け身ではいけないと思うのです。

まずはどんな指摘も「フィードフォワード」として受け取る努力が必要だと思います。問題や欠点の指摘であっても、自分の受け止め方次第で未来志向にすることは可能だからです。自分がやるべきことに信念を持っていれば、意識的にこうした受け止め方をすることは出来るはずです。

自分自身と向き合い信念を持った上で、パワー関係の中でどうしても信念を貫くことができないのなら、そのときは別の関係性を探すことも出来るでしょう。いずれにしても譲れないものを持っているかどうかで、物事の受け止め方は変わってきます

私はこれまでの人生の中で迷ってばかりいたので、上司だけでなく他人の評価にずいぶん振り回されました。でも今は、書くことに信念を持っています。だからどんな指摘も「フィードフォワード」に出来る自信があります。

もちろん、みなさんから頂くコメントは努力を要せずとも勇気づけられるものばかりで、誰から見ても確実に「フィードフォワード」です。そして鋭い「気付き」を与えてくださるので、一つひとつに大きくうなずいてしまうのです。

 

 

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前回の記事で、私は以下のようなことを書きました。

 

私がたくさんの論文を読んだ中で心に残ったのは、分析や検証方法の正確性とか発見事実の希少性を訴えるものより、研究の目的や見出されたことに対する執筆者の想いが伝わってくるようなものでした。

頂いたコメントは、この内容に共感してくださったものがとても多かったような気がします。例えばいつもコメントをくださる、さえわたるさんはこう書いてくださいました。

難しい研究論文であっても、書いたのは人間。
ドライな実証性が求められる反面、やはりそこにはヒトのココロが宿っているものだと感じています。
真実を追究する情熱とでもいいますか

 

「真実を追求する情熱」―私はこの言葉でさらに自分の「気付き」を深めました。

私が研究をしていて感じた違和感はまさに、この「情熱」が置き去りにされていたことだったのです。研究方法の適切さや研究の貢献ばかりを強調しなければならないことに、どうしても馴染めませんでした。社会科学を学ぶことは、人が生きやすくなるきっかけや、そのヒントを見つけるものだ―私が持っていたこの情熱は、大学院で求められる研究者としての成功と明らかにかけ離れていました。

ところが、この「研究」とは何かということさえ、関係性の中で揺れ動くものだということに後から気付きました。

ips細胞研究で有名な京都大学山中伸弥教授のエピソードです。山中教授は留学中に指導を受けた先生から「君のビジョンはなんだ」と聞かれた時、「妻子を連れてアメリカに来ているのは、いい研究をして、論文をいっぱい書いて、研究費をいっぱい貰って偉くなりたいからです。教授になりたいんです」と答えたそうです。

それに対してその先生は「それはビジョンじゃない。ビジョンを達成するための手段だろう」と言いました。

それを聞いて山中教授は、「いまの医学では治せない患者を治せるとしたら、それは研究。だから研究者になろうと思った」ということを思い出したそうです。

山中伸弥が研究者として成功した秘訣——「VW」のモットー|人間力・仕事力を高めるWEB chichi|致知出版社より

研究者としてのビジョンは、やっぱり「真実を追求しようとする情熱」の中にあるのです。

ある関係性の中で限定的な「研究」の在り方に、私自身も惑わされていました。山中教授とは比べ物にもならないくらい小さなものかもしれないけど、きっと私にも出来る「研究」があるはず今はそう思っています

でもこうして考えてみると、ブログの価値と研究の価値は似ているかもしれません。

自分の気付きを追求すること、そしてそれを伝えることが、誰かの気付きにつながるんですから。

ここでブログを書き続けながら、来年は論文も書くと私は心に決めています。 

 

 

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「物語」の力をさらに問う―多様性を創造力にするために―

今日の材料:多様性、創造力、物語、知恵を集める

日本は単一民族国家と言われますが、時代の変化と共に多様性はますます増しています。まだまだ多数派が生きやすいものの、「多様性が創造力を生む」といった潜在的可能性も、あちこちで叫ばれるようになりました。

でも実際には、さまざまな志向や経験を持つ人たちの知恵を集めて一つのものを創り上げるということは、言うほど簡単なことではありません。

例えばいろいろな住民がいる地域コミュニティ、必ずしも目的意識が共有されていないグループや組織などでそれを実現するのは、本当に難しいことです。

興味や志向、利害などが一致しなければ、人はなかなか同じ方向を見ることは出来ないからです。結果として多様性は、建設的な対話や実践の阻害要因となってしまいます。

では、どうしたら人は同じ方向を向くことが出来るのでしょうか。

以前【理屈よりも深い納得を生む物語の力】という記事で、「物語」というのは、実は合理的な説明よりずっと物事への納得を生み出すものだと書きました。

この記事は、自分史上最高のブックマークを頂きました。物語の力に共感してくださる方は多いのかもしれない、と自分の中に納得がありました。

多くの人の心を動かす物語、それは多様性が増す現代社会で、創造的な力を発揮するものになるのでは、と思います。

 

 

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物語が生み出す納得には、感情や情緒によって人を動かす力があります。

一般的には、人を説得するためには論理性が必要だと言われます。私自身、大学院で文章を書くようになってから、いかに論理的に組み立てるか、ということをたくさん考えるようになりました。(実際にそう教えられますし。)

でも論理的な文章でも相手に伝わらない、ということが多々あることに気付くようになりました。私の力不足もあるのですが、読み手に何かを伝えようと思うとき、論理性以外にも考えるべきところがあると思うようになったのです。

論理性は、ある意味では客観的な説明と言い換えることが出来るかもしれません。でも【創造性は意外性から始まる―異なる視点を受け入れてみよう】という記事でも書いたように、人というのはどう頑張っても、自分自身の視点から逃れて物事を見ることは出来ません。

純粋に「客観的」であるということは、本来あり得ないのです。興味も知識も異なる人に何かを伝えたいと思ったとき、論理性というのは数多くある基準の一つに過ぎません。(私は研究者には向きませんね・笑)

そんな私がたくさんの論文を読んだ中で心に残ったのは、分析や検証方法の正確性とか発見事実の希少性を訴えるものより、研究の目的や見出されたことに対する執筆者の想いが伝わってくるようなものでした。

そしてその想いは、筋書きを持つ物語として自然に沁み込んできたのです。想像力のない私のような人間でもやはり、ストーリーの要素を持つ文章にひかれていきました。

多様なアイディアから一つのものを創り上げようとするとき、 初めから誰もが納得する答えを見つけ出すことはとても難しいことです。

でもその前に、人の心を動かすような物語づくりのプロセスを共有することで、そこに共感を生み出すきっかけになるかもしれません。

例えばあるコミュニティやグループ、組織の過去から現在までの歴史とか、参加者が共有する出来事をみんなでストーリー化してみるところから始めてみてはいかがでしょう。

そのストーリーが、もともとの目的に向かって取り組む良いきっかけになるかもしれません。あるいはそのストーリーそのものが、目的につながる可能性もがあると思います。

ストーリーの要素は様々です。出会いや別れ、笑いや怒り、ハッピーエンドや意外な展開―物語をどう面白くできるかを考えることは、結論をださなければならない話合いよりずっと心のハードルを下げるものだと思うのです。

もちろん、期限がある仕事ではそういう訳にはいきません。「そもそも論・再考」と言う記事でも書きましたが、時と場合を見極めることは絶対に必要です。

でも今のように複雑な社会の中で意味を持つアイディアは、単一的な物の見方からは絶対に出て来ないでしょう。多くの人の知恵を集めるということに、私たちは今まで以上に注力する必要があると思うのです。

その時、物語はきっと想像以上にその力を発揮するに違いありません。

 

 

※創造性につながる人間関係の在り方や教育に関して以下のような記事も書いています。

kiki-sh.hatenablog.com

 

 

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